剣道人口増やしたいロゴ
なんでも掲示板のトップページ > 過去ログ > スレッド閲覧

普通に剣道できる幸せ
日時: 2009/01/17 11:54:25
名前: 兵庫助 < >
URL: http://www.kcc.zaq.ne.jp/hiranokendo/

今日は阪神・淡路大震災から14年、早朝からの震災関連行事の応援用務を終え、当時を思い出し、みなさんに、普通に生活し、剣道ができる幸せを、ぜひ感じていただきたいと、このHPの趣旨とは若干離れるかもしれませんが、14年前の体験を発信させていただきます。

14年前、突然の大揺れ。小型テレビが落ちてきて、家内の頭を直撃しました(>_<)倒壊家屋や亀裂の走る道路を用心しながら自転車で職場に駆けつけましたが、県庁前の神戸栄光協会の塔が倒れて道路を塞いでおり、自転車を抱えて通過しました。

もちろんエレベータは動いておらず、11階の職場まで駆け上がりましたが、部屋の中のロッカーは倒れ、揺れで動き回った机などが入り口を塞ぎ、ドアも開かず、部屋に入れない情況でした。私の机は、書類ロッカーが落下して、大きく凹んでましたので、勤務中であれば頭を直撃し、大怪我あるいは命を失っていたかも知れません。

剣道教室の子どもたちも、避難所で生活したり、遠くへ転居したりしました。
私自らも被災者でありながら、家のことは後回し、仕事柄、通常業務は棚上げし、被災者支援等の応援をし、交代で職場に泊まり込む日々でした。
剣道どころではない会員も多かったのですが、こういうときこそ、子どもたちに剣道で明るい気持ちを取り戻してもらいたいと、無理をして再開しました。教室のある小学校体育館も避難所になり、当然使用できず、近くの展望公園で少年野球などと譲り合いながら、半年以上、運動靴をはいて稽古しました。
それでも、ほとんどの公園に仮設住宅が建設されたので、比較的近くに公園のまま残された場所があったことは幸いでした。
その公園は小高い場所にあったので、被災者向け仮設住宅を建てるには適していなかったのでしょう。

兵庫区はガスの復旧が最も遅れ、半壊と認定された我が家も3月31日までの2ヵ月半、風呂が沸かせず苦労しました。熱帯魚の水槽を暖める器具で風呂が沸かせるとの新聞記事を読み、4本購入して挑戦、入れる温度になるまでに10時間かかり、それでも大喜びで入浴したものの、入ったとたんに体温で湯がぬるくなったものです。

今日の震災関連行事の応援用務を果たしながら、そんなことも思い出し、
普通に剣道もできる生活に感謝したいと感じました。

Page: 1 |

Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.1 )
日時: 2009/01/17 12:35:00
名前: 凛美優

『兵庫助』先生。

阪神・淡路大震災が起きた時は、私は、まだ国内の長期信用銀行に勤務していた頃です。当時、本店で銀行の預金や内国為替決済を担当しており、震災発生には、神戸近隣支店にやってきた被災者の預金引き落とし業務を、休日も深夜まで遠隔システム操作で代行処理をやったのを今でも覚えています。

現地の支店に来店された被災者の方々の多くは、通帳はもちろん、印鑑も本人確認書類もなく、所持品なしの状態で、お金が必要だから何とか払い出して欲しいと嘆願されていました。預金残高も曖昧で、記憶の範囲でいくらぐらいというレベル。

銀行は、法律で所定の本人確認が確実に出来ない場合は、人のお金を預かっている限り、払い出しは一切出来ないように決められており、来店のお客さまには、個別に様々なインタビューを実施し、筆跡や拇印などを合意の下で徴求し、支店長判断で本人であるものと強く推定出来る場合には、預金残高の範囲内で現金の払い出しに全額応じました。

当時、私は本部にいましたので、たとえ誤って人の預金を違う他人に引き出したとしても、全額銀行負担で補填処理することを決め、当局(当時は大蔵省)と折衝した記憶があります。当時の部店長は大変な業務だったと思います。

その後、神戸の悲惨な状況が明らかになるにつれ、とんでもないことが起こったのだと徐々に実感してきました。他の大都会で同じ地震がきたら、また同じような惨事が起こるのかと思い、地下鉄の駅とかガラスの多いビルのそばとか、暫く怖くて落ち着いていられなかったです。

もし被災したらこう逃げてこう行動しようと考えてはみましたが、私は、人生を振り返っても、運が相当に悪いので、恐らく上手く生き残れないのではないかとも思い、あきらめの感もあります。

ですから、きちんと出来るうちに剣道も人生もしっかりやりたいと思い、時間を一生懸命に捻出して、剣道をしています。一時、剣道と仕事以外に何かないのかと我が身を振り返ると、何もないことに気付き問題意識を強めたことがありましたが、青少年のように若くないので、健康や身体のことも考えれば、それだけでも出来れば十分かと、またそれだけでもやり尽くすことは出来ないと言い聞かせて、剣道をやっています。

先生の書き込みを見て、色々回顧しながら、被災され犠牲になった多くの方々のことも忘れてはいけないなと、あらためて思いました。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.2 )
日時: 2009/01/17 13:48:00
名前: 兵庫助< >
URL: http://www.kcc.zaq.ne.jp/hiranokendo/

凛美優先生、コメントありがとうございます。

そうでしたか、先生も大変な経験をされましたね。被災者ではなかったが、
震災の被害者だったのですね。
公務員同様、法律・政省令・通達等に拘束された業務内容の中、超法規的措置を
決断された先生はじめ関係者の方々に心から敬意を表します。
被災者支援に欠くことのできない、そして効果的な措置であったと思います。
対大蔵折衝の困難さも十分推測されます。

さらに、銀行名をお聞きし、おそらくエリート銀行員であった先生のその後の
環境変化などを考えますと、震災時の業務体験以上の困難な状況に遭遇されたことと
拝察します。

しかし、その貴重なご経験が、先生の真摯な姿勢と優しい心根を醸成する要因のひとつ
になったのではないでしょうか。このHPの先生のいろんなコメントからも
感じ取ることができます。

いずれにしましても、6,400人を超える犠牲になった方々のことを忘れず、
震災の教訓を伝え続けていくことが、生かされた者の責務であると、心を新たにしています。

そして、伝え続けるという意味では、日本の伝統文化である「剣道」についても、
修行できる幸せに感謝しつつ、後世に残す努力をしていかなければと思います。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.3 )
日時: 2009/01/17 15:25:34
名前: 剣士応援ママ

震災当時、宝塚に住んでいました。1歳10ケ月の息子を連れて近くの中学の体育館で避難生活をおくりました。毎日テレビやラジオのニュースで死者の名前が流れて、変わり果てた神戸の様子が写し出されて泣いて過ごしていました。あの時は肉親を亡くされた方は思いきり泣く事が出来る家も無くなっていたんです。普通に水道から水が出て毎日お風呂に入れて、剣道の稽古ができるって幸せなことなんですよね。震災を体験していながら、そんな有り難みが薄れてきている自分に気が付きました。あの時幼かった息子も7歳から剣道を始めて今高校1年生です。毎日、高校の剣道部と道場に通って剣道三昧な生活を送らせてもらっています。今日は久しぶりに震災当時の話や、今剣道ができる幸せを話し合ってみようと思います。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.4 )
日時: 2009/01/17 19:52:29
名前: 兵庫助< >
URL: http://www.kcc.zaq.ne.jp/hiranokendo/

剣士応援ママさん、共感していただき、とても嬉しいです。
幼かった息子さんとしては、ほとんど記憶がないかも知れませんが、ぜひ、
震災当時のお話をしてあげてください。
あの震災を風化させないことが大事だと思っています。

今日3時から5時まで剣道教室をしてきましたが、稽古前に、震災のことを
話し、この体育館も避難所となっていたこと、公園で少年野球などと譲り合いながら運動靴をはいて稽古したこと、今こうして稽古できる環境に感謝したい、という話をしました。
一般会員の大人は別として、子どもたちはみな実体験がありません。
剣士応援ママさんのご子息と同じ高1の子も来ていましたが、どの程度印象に
残っているのか聞けばよかったなと思います。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.5 )
日時: 2009/01/17 22:42:18
名前: 剣士応援ママ

高1の息子は3月生まれなので同じ学年のお子さんに比べたら記憶は残ってないかも…改めて当日の事を聞いてみましたら『お母さんに毛布に包まれて暗いところにいた』一場面しか残ってないとのことでした。記録を残しておかないとと思い避難所でカメラを持ち込んだものの周りの人の状況を考えるとシャッターをきることが出来なくて諦めた事を思い出しました。避難先の体育館でストーブの側を走り回る子供を追い掛け回りクタクタになった事、夜はむずがって寝なくてテントや車の中で寝た事…話してやりました。剣道大好きな息子ですが中学時代からは恵まれた環境と言えない中で頑張っているなと思い親として少しでも力になれればとは思うのですが…子供の年齢が上がれば出過ぎることもできないし、なかなか難しいです。答えを求めてさ迷ううちにこのブログに辿り着きました。これからも時々覗きにきます。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.6 )
日時: 2009/01/17 23:05:01
名前: だみ声< >

14年前のあの大震災の経験談を、このような形で知らされたことに改めて驚くと共に、立場上被災者でおれなかった先生の気持ちがよく分かります。

限りなく東灘に近い灘区石屋川西岸に住んでおりましたかつてのわが住まいも、完全に倒壊しておりました。
須磨区に住む親戚は、その日たまたま全員で二階に寝ており、崩れた一階の下敷きにならずにすみました。
灘区赤坂通りに住む姉の家は、改築時強度が心配だからという大工さんの主張で、台所に柱を一本立てました。邪魔な位置でしたが、ここが要と言われ、渋々同意したそうですが、そのおかげと思いますが、倒壊しませんでした。

そんなこんなで、友人知人親戚にも大きな被災もなく、そのせいであの記憶が薄れていたことは事実です。

改めて今日先生が、「普通に剣道出来る幸せ」を書いて下さったおかげで、地震多発地と言われる伊豆に住む身としては、決して対岸の火事でないことを改めて認識しました。

それにしても兵庫助先生と言い、凛美優先生と言い、それぞれのお立場であの震災に絡んだ大変なご経験をお持ちとは、本当にありがとうございました。

しかも剣道稽古再開も、気持ちが落ち込みがちな中であえて屋外で、運動靴はいて再開されたと言うあたり、先生の前向きな行動力、決断力、指導力に敬意を表します。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.7 )
日時: 2009/01/18 16:17:50
名前: ママ

 こんにちは、兵庫助先生。
 もうあれから14年が過ぎたのですね。当時は、義兄が関西に住んでおりましたので驚きました。また、神戸に親戚もいまして、家が滑り落ちたそうです。幸いにも怪我人は誰もいなかったようです。

テレビで見るとかなり被害がひどく、仕事中にテレビにみんな釘付け(社員のくせに何やってんだか?)。こんな私でも「大変!住む所確保しなくちゃ」って言っていたほどです。変な話ですが、当時私の勤める会社には仮設住宅には絶対必要な物があったのです。会社のこちらの支店からも震災復興支援対策班で人員が派遣されました。早期に仮設住宅を作るためです。九州から3割くらいの人がと、数名の社員が出向しました。資材がない、人が足りない。しばらくして、混乱が収まり平常の形に戻りました。

 九州で起きた数年前の地震、教訓に生かされたのだろうと思います。そちらの震災に比べれば、小さな震災だったかと思います。しかし、被災された方々は、大変でした。パパが、仕事で被災したマンションにお伺いしたら、エレベーターで壊れた物をみなさんが出していて、車に乗っていた台車を「使って下さい」と置いて来たそうです。

 そう考えて行くと、普通に剣道ができることは幸せなんだろうし、普通に食事を頂いて、途切れもなくお仕事があり、しかもこんな私ですが二人の子供を授かることもでき、住む所もありと(裏を考えると奇妙な人生歩んでいるようですが)、たぶん幸せなんだろうと思います。兵庫助先生、稽古初め前に、貴重なお言葉ありがとうございます。

 あれから14年、色々なことがありました。剣道再開もありましたしね。どうやら、やっと明日から私の稽古初めも出来そうです。1ヶ月近くまともに稽古できなかったので、ちょっと怖い気もしますが、楽しんで稽古して来ます。

 

 
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.8 )
日時: 2009/01/19 05:16:46
名前: しま< >

私は東京から離れたことがないので、あの震災はテレビで見ました。大変なことが起きてしまった、と。親戚一同関東なので、被害の話は報道でしか知りません。父が「地震に耐えられる家を」と言って、家を新築する時、和風家屋に鉄骨の柱を入れてくれたお陰で、実家は少しの地震ではビクともしないようです。また、婚家は農家なので、家が倒壊しても畑もあるし井戸もある、という具合で安心材料があるせいか、災害対策を怠ってます。あの時はまだ剣道を再開してませんでした。思い巡ると14年、これぞ人生か!というくらい波瀾万丈、山あり谷あり…今こうして毎日剣道をしている、生きていることに感謝です。改めてそう思います。間違った道に行かなくてよかった…私は皆さんのような経験がないのでレスを思い止まってましたが、皆さんの言葉は深く心にいただきました。
Re: 普通に剣道できる幸せ ( No.9 )
日時: 2009/01/20 09:52:22
名前: とらのすけ

以前 別のスレでもカキコミをさせて頂きましたが、私は消防団にも所属しています。

そして『応急手当』の指導員の資格も取得しました。

それは『地域の方々の生活のお手伝いが出来れば』という思いもあり活動をしています。

消防は火災の消化もありますが、人命救助もあります。

その中で人の命の尊さは剣道にも通じるものだと考えます。

『笑顔』を守る事は『命』を守る事でしょう。

私はそう信じています。

兵庫助さんの体験は私達の想像を遥かに絶するものだったろうと思います。

以前 (たぶん)長田区に住んでおられた方がこちらへ引っ越しされて一緒に剣道をさせて頂いていました。

いつもお元気で、稽古させて頂いた時はご高齢にも関わらず脱帽状態でした。

その先生の事を思い出しました。

これからもたくさんの笑顔を笑顔で迎える事ができる様に頑張っていきたいものです。

Page: 1 |