剣道人口増やしたいロゴ
なんでも掲示板のトップページ > 過去ログ > スレッド閲覧

正座をして黙想したときの手とつま先
日時: 2009/03/22 01:38:08
名前: Kenoken < >

正座をして黙想したときの手とつま先

正座をして黙想したときの手の持ち方について質問なのですが、この時右手が下でしょうか、それとも左手が下なのでしょうか?
また、正座をしたときどちらのつま先を上にするのか決まりはあるのでしょうか?
先日、質問されたのですが返答できませんでした。

因みに私は右手が下、足は右のつま先が上になっています。理由は特に無く、ただそのほうが自然に感じるというだけです。

剣道に関係の無い事で申し訳ないありませんが、教えてください。

Page: 1 |

Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.1 )
日時: 2009/03/22 02:30:42
名前:

全ての所作には意味がある、と常々考えている某と申します。

私がかすかに聞いたことのある内容としては、
昔テレビで『座禅』についてやっていたことがありまして、そのときは
「右手を下に、左手をその右手の上に重ねる」と言われておりました。
また親指は、薄紙一枚を挟んだつもりで触れるか触れないかを意識して精神を集中させる、というようなことをおっしゃっていたと記憶しております。が、別のところで聞いたときには、親指はお互いを強く押す必要は無いけれども、決して離してはならない、というものでした。
どちらにしろ、気持ちを集中させる必要があるものになると思いました。

右手を下に、左手をその上に重ねるのは、勉強不足なのですが、多分これも意味があるのだと記憶しています。作法というか、その手の組み方にも正しい呼び方があったと思います。

昔、座禅を組むということは、武士にとって抜刀への所作に移るまで時間がかかる故、戦いの意思がないことを意味する、というようなことも聞いたことがあります。座禅の際、手のひらを上にする動作は「肩の荷を下ろす」意味もあるのだとか・・・。

剣道では座禅ではなく正座ですが、共通することがあるのではないかと思っています。


あと、正座する際の足の指の重ね方ですが、
よく知らないのですが茶道においては親指を重ねるのが正しいのだとか・・・?
ですが、剣道においては武士の名残があることから親指は重ねない、と聞きました。
理由は、立ち上がる際動作が遅れること、もし敵に後ろから足の指を踏まれた場合、指が重なっているとそのまま踏まれて立ち上がれなくなるけれども重なっていなければ踏まれてもスッと足が離せるから・・・というような内容だったと思います。
また、正座については着物によって動作が若干異なるらしいのですが、剣道や居合い道においては膝を開かない(急所を守るため)と聞きました。
が、膝を拳ひとつか二つ分あける、ということも聞いたことがあるので、どれが正しいのかよくわかりません。


私の過去にかすかに聞いたことがある内容だけで書き込みをしてしまいましたが、本当に正しい所作をご存知の方がおられましたら私も是非お伺いしたいと思います。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.2 )
日時: 2009/04/04 20:08:53
名前: 初老のおじさん

Kenoken さんへ

>正座をして黙想したときの手とつま先<

私は詳しい由来、正式にはどう?という事は知りませんですが、
もし、質問されたら
「自然に、黙想。集中力を養うためなので、少々は良いけれど、手のつき方や礼は雑にしないで丁寧にすれば、心は伝わるし失礼にはならないので、無理なら自然な形で良いです。」と答えます。
ちなみに私は、
手も、足のところにのせたまま。(ひざでなく、ふとももの所、前で組みません)
足はのせずに左右別々そのまま床につけています。(のせると足が痛いから)

ただ、手を前で組むのは、気をたんでん(へその少し下)に集中するために組むという話を聞いています。(そうすると集中できるような気がしますが)
しかし、苦しい、痛いまま我慢するのは、黙想の本来の意味(黙して想う…今日の稽古は…等)からすると、自然がよいと思っています。
座禅ではないので、その方が良いような気がしてそうしています。

私のところの師範(代表者)は、「右足の親指を左足の親指にのせる。」と初心者には教えております。私もそのように教えていただきましたが、できません。(痛くって)でも、修正せよともいわれていないので、自然が良いのではと思います。
お答えになってなくて、すみません。
常々似たような疑問をもっていましたので、何か調べようと思っています。
わかったら、またここで。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.3 )
日時: 2009/04/04 22:55:54
名前: 風牙

こんばんは

手の組み方や足の組み方は既に皆さんが回答されていますね。

私が小さい頃に教わり、今でも実践している事を一つ参考までに。



黙想の際に目を完全に閉じるのではなく「菩薩眼」で黙想をする。

菩薩眼とは、お地蔵様とかを見てみると目を完全に閉じていません。
薄目を開けているのに気がつかれると思います。
黙想の際に、この薄目を開けた黙想するのです。

何故こんなことをするのか・・・

菩薩眼をする事によって自分の膝前1メートルから1メートル半位の距離が見えるのです。
目を閉じている時に敵が襲って来た時にとっさに反応する為との事。と教わりました。

実際に黙想の際に完全に目を閉じている時と菩薩眼をした場合、菩薩眼をした方が精神的に静まります。
試してみて下さい。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.4 )
日時: 2009/04/05 00:05:38
名前: Kenoken< >

某さん、初老の叔父さん さん、 風牙さん、

回答ありがとうございます。
こちらでは正座する事自体に非常に苦労される方も居られますので、無理をしないで自然な形で気持ちを集中できるやり方で良いのでは。と答えることにします。

あと、手を組んだ時、気で手の内側に暖かい気流のようなものを感じるように、と教えられました。そうなる時とならない時があります。

菩薩眼は今日稽古でやってみたいと思います。

また、何か分かりましたら宜しくお願いいたします。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.5 )
日時: 2009/04/09 18:00:50
名前: 初老のおじさん

Kenoken さんへ

>正座をして黙想したときの手とつま先<
ネットの中に、学校での剣道の授業についての体育指導資料というのがありました。
この中にも、理由、由来、何故は記述がありませんが参考になればと思いましてお知らせします。

茨城県教育委員会学校教育学校体育指導資料より
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/gakkou/hotai/taiiku/sidou.htm
第35集

引き続き、調べてみます。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.6 )
日時: 2009/04/09 22:39:32
名前: Kenoken< >

初老のおじさん さん、

良い情報をありがとうございます。これは、今後初心者にアドバイスするときにも活用させていただきたいと思います。
正座のところでは写真を見ると右手が下になっていますね。

で、すみません。ざっと見ていて、新たな質問です。
提げ刀・帯刀のところなのですが、私の道場では帯刀のときには右手は腰の位置まで挙げないようにと指導されます。全日本剣道選手権のビデオや日本剣道形のDVDなどを見ても、右手は体の横(又は太ももの前くらい)においていると思うのですが…。

どちらが正しいのでしょうか?
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.7 )
日時: 2009/04/09 22:57:51
名前: Kenoken< >

初老のおじさん さん、

さっきの続きを見ていまして、時間短縮の為、胴紐用金具や面紐の代わりにゴムを使うとありますが、やはり限られた時間で授業をするには仕方の無い事なのでしょうか?剣道では、胴着から面まで全ての着用作業にこの「紐を結ぶ」と言う作業があるわけですが、ただ結ぶのではなく、綺麗に結ぶ、また相手に迷惑をかけるので稽古中解けないようにきっちり結ぶように注意し、またそうできるように練習をします。「何事も安易な方向を選ばない」これもまた剣道の良いところだと思います。学校で教えるのであれば、剣道のこのようなところを強調して欲しいと思います。

細かい話ですみません。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.8 )
日時: 2009/04/14 22:45:38
名前: 初老のおじさん

Kenokenさんへ

>提げ刀・帯刀のところなのですが、私の道場では帯刀のときには右手は腰の位置まで挙げないようにと指導されます。全日本剣道選手権のビデオや日本剣道形のDVDなどを見ても、右手は体の横(又は太ももの前くらい)においていると思うのですが…。<

私は、右手は体の横から太ももの前、足の付け根くらい、だと思います。
左手と同じ位の高い位置ではないと思います。
改めて聞かれて、稽古中にどうだろうかと自分で確認してみました。格別意識していなかった事を聞かれると、ドキッとします。
剣道形の小太刀の場合もそのような位置なので、それで良いと思います。


Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.9 )
日時: 2009/04/15 07:15:21
名前: Kenoken< >

初老のおじさん さん

ありがとうございます。私も右手の位置、初老のおじさんさんと同じです。

ご案内頂いた資料の写真では、帯刀の時、右手と左手が同じ高さになっていたので、「おやっ?」と思い質問しました。

こちらでは、普段あまり気にもしていない事について聞かれて「ドキッ」とする事、よくあるんですよ。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.10 )
日時: 2009/04/15 08:58:09
名前: 初老のおじさん

Kenokenさんへ

学校の授業の中で、武道として剣道を教える場合、
>時間短縮の為、胴紐用金具や面紐の代わりにゴムを使う<
この事についても、私的には、「う〜〜〜〜ん??」というところです。
普段から、紐を結ぶ事が少なくなってしまい、それも日本文化の一部とおもうのですが。
先日、剣道の野外での野試合というのがあり、着替えを持ってきている子どものなかに、風呂敷を持参している子がいまして、
「お〜」なかなか良い指導をしているなぁ、(親なのか指導者なのか)と感心したものでした。
学校でもそういった部分までも教えて欲しいなとも思いました。

正座と黙想については、引き続き調べてみます。いましばらく時間を下さい。

Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.11 )
日時: 2009/04/23 17:24:46
名前: 初老のおじさん

Kenokenさんへ

ある程度まとまりましたので、中間報告します。
正座並びに黙想、立ち振る舞いについては、武家の作法として受け継がれて来たもので、小笠原流にのっとった作法があるとのです。
小笠原流というと、女性の作法の様な感じがしていましたが、元々は武家の作法から出たものなので、武道関係の作法も小笠原流に源があるそうです。
正座をする時の、手の形は仏教、特に禅宗の流れがあるようです。

色々な記述の要素部分を切り取ると。
>その形は、定印(じょういん)といって、…一般的にヘソの前で右手が下、左手がその上で、両手の親指先端をかすかに合わせる形が、座禅の時には一般的な形ですが、その形も宗派などによって色々な形がある。…その意味は、これは仏が瞑想に入っていることを指す印相である。<
>黙想(もくそう)は、目を閉じて静かに自らの内面に深く沈思し、故人や神や自分の信じる信仰における絶対的な存在と触れ合い、故人への思いや人生、生きることの意味について思いをめぐらす行為であるが、武道などの場合は、精神統一の観念から稽古の前後に行われる。<
>正座をするためには、まず始めに床にひざまずき、臀部をかかとの上に載せ跪座(きざ)となり、次に足を伸ばして、臀部の下にかかとがくるようにする。手は控え目にひざの上かまたは腿の上におき、背中をまっすぐ伸ばす。
伝統的に、男性はわずかにひざを開け、女性はひざを閉じて座る。いくつかの武道(剣道と居合道)においては、(急所を守るため)男性もひざを閉じて座る場合があり、また、ひざの距離は拳2つ分の幅とする場合もある。
正座する際、足の親指はしびれを防ぐために時々重ねる場合がある。
昔は足の親指を重ねる場合、男性が左の親指が上、女性は右という決まりがあったものの、現在に於いては特にそういった決まりは無い。
ただし、居合道などの武道によっては、正座の状態から膝を立てる際に遅延が生じるといった理由で、親指は重ねないように指導をしている。<

以上の事を合わせ考えると、
  1.手の形は、精神統一の方法であるので、必ずしも形にこだわる事はない。
  2.正座の時の膝は、少し開けていても問題はない。
  3.正座の時の足の指は、重ねない方が良い。指を重ねるのはシビレない為。
前に書き込みしたように、
「自然に、黙想。集中力を養うためなので、少々は良いけれど、手のつき方や礼は雑にしないで丁寧にすれば、心は伝わるし失礼にはならないので、無理なら自然な形で良いです。」で間違いではないようです。
左座右起の方法も、相手への反撃の態勢を取るのに良い方法ですし、黙想中も目を完全に閉じないで自分の少し前を見るのも、回りへの警戒の意味もあるでしょう。
手を着く時は、これらの状況から考えると、いつでも刀が抜けるようにするなら、右手からでしょうか?(警戒するいみならば)
相手に警戒していない意思を表すなら左手になるでしょう。
どちらが正しいかはわかりませんが、両手同時ならばどちらとも言えないので、両手同時が良いかも知れません。(私感)
まだまだわからない事ばかりですが、所作の理由を考えながら、また調べてみます。また後日報告できる様にします。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.12 )
日時: 2009/04/23 21:07:30
名前: Kenoken< >

初老のおじさんさん、

ありがとうございます。良い勉強になりました。ようするに、相手に敬意を示し、礼を尽くすという気持ちが大事で、形は集中できる自然な形で良いと言う事ですね。これからは自信を持って答えることが出来ます。

手の付き方もそうですが、竹刀を置く側も、「自分は刀を抜く意思はありませんよ」と言うことであれば、右側に置くことになるのでしょうね。私の道場では稽古のはじめと最後に正座する際、竹刀は右側に置くことになっています。

このような諸作法の意味も海外で伝えて行きたいですね。
Re: 正座をして黙想したときの手とつま先 ( No.13 )
日時: 2009/04/29 12:59:46
名前: 初老のおじさん

Kenokenさんへ

>竹刀を置く側も、「自分は刀を抜く意思はありませんよ」と言うことであれば、右側に置くことになるのでしょうね。私の道場では稽古のはじめと最後に正座する際、竹刀は右側に置くことになっています。<

最近、全日本剣道連盟でも「竹刀の置き方について、右側にという議論から方針に」という記事をどこかで読んだ様に思います。(まだ通達や指導も具体的にはわからないですが。)
所作にも、理由が必ずあるものですから、本質を知るという事は大切ですネ。
まだまだ、知らない事だらけの様に感じている今日この頃です。

Page: 1 |