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だみ声親父の反省
日時: 2009/04/30 00:24:17
名前: だみ声 < >

「剣道人口増やしたい」サイトを月刊誌「剣道時代」の紹介で読んだ時から、ここでの多くの方との意見交換、及び自分の剣道のあり方の記述や報告をさせていただいてきました。

意見交換は多岐にわたり、小学生の皆様から高段者の皆様に至る大きな年齢幅の剣道愛好家との楽しい会話、意見交換、議論をさせていただき、ご指導も頂きました。
落ち込んだような人には、励ましによって新しい境地に立ってほしいと願って、心をこめて書いてきたつもりですし、僕自身が落ち込んだり自信を失いかけた時、皆様からの励ましをいただいたのも事実です。

でも振り返ってみると、僕の意見は究極の所、僕個人の人生経験と思想に基づいたもの以外のものではあり得ない事に気付きました。

やはり僕は僕なりの単なる「井の中」の存在であり、大海を知らぬままの、視野の狭い意見をあたかも大海を知るが如く述べていたのではないかと思うに至りました。

過去のスレッドの「剣道と雑巾がけ」でのやり取りや、「剣道とは」の4月27日以後のやり取りなども、僕の思うところの精一杯を表現して書いたつもりですが、振り返ってみると思いいたらぬことや、あさはかな表現、読む方の心を傷つけてしまう配慮のない言葉が随所にあったのではないか、と言う反省をしなければならない時期にあるのではないかと気づきました。

還暦も過ぎ、いい年ぶら下げて、ひとりよがりの理屈をぶち上げて「悦に」入ってたのではないかと反省しております。

こんな僕が、このサイトでこれから先どんな事を書いていけばいいのだろう? 書かない方がいいのではないかとも思います。
でも書かないでいると、自分のストレスにもなると思います。 でも深く配慮できていない事を書くのは、決していい事ではないはずで、堂々めぐりしております。

しばらく座禅して、瞑想にふけってきます。

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Re: だみ声親父の反省 ( No.1 )
日時: 2009/04/30 01:00:22
名前: Kenoken< >

だみ声さん、

今までどおりのだみ声さんで良いと思います。
「打って反省、打たれて感謝」は、剣道だけでなく日々の生活にもいえることだと思います。剣道も人生も(仕事も)毎日が修行!で良いのではないでしょうか?(偉そうな事言ってすみません)
Re: だみ声親父の反省 ( No.2 )
日時: 2009/04/30 06:20:31
名前: しま< >

私はこのサイトで、一緒に剣道する子どもらの事で悩んだり、自身の悩み、喜び、痛み…など、様々なことを書き込み、多くの方に励まされ、ご意見いただき、親しみを感じ、そんな中でもだみ声さんを「父さん」と慕い、何日か書き込みがないと(また出張でも行っているのか?それとも肩が痛いだけでなく他も悪くしてるのか?)などと詮索してます。多分ここに書く殆どの人がそう思っている。今まで通りでお願いしますね♪過ぎたことは、反省しつつも引き摺ることなく、残り少なくなりつつある人生を、だみ声父さんも私も(私も46になりますからね〜)頑張りましょう!!
Re: だみ声親父の反省 ( No.3 )
日時: 2009/04/30 06:24:57
名前: ゆーと

ボクの「ダミ声」さんの内容よむの楽しみですよ
これからも今まで通りの調子で!!
Re: だみ声親父の反省 ( No.4 )
日時: 2009/04/30 08:49:25
名前: まあ

お早う御座います。息子が剣道をしております。
数年前、この掲示板で悩み事を相談し、だみ声先生他色々な先生方に
励ましのお言葉頂き救われた者です。あれから書き込みはしておりま
せんが、いつもここへ来ております。だみ声先生、凛美優先生、しま
先生他の様々な先生方のお言葉で暖かい気持ちになったり熱い気持ち
になったり感動したり・・
この掲示板が大好きです。
思いを文章にするのは難しい事なのかもしれませんが、ただ先生が何
をおっしゃっておられるのかはわかると思います。先生の思いやり
言葉の深さ、人柄は伝わります。
どうぞ、どうぞこれからも色々な方と対峙して頂きたい。
先生のお茶目な所も大好きです。先生に救われている人も沢山いるの
です。もう書かない・・などと恐ろしい事おっしゃらないで下さいね。

追伸。先生の営業会議もいつも楽しみにしております。また楽しい
お話し聞かせて下さい!

Re: だみ声親父の反省 ( No.5 )
日時: 2009/04/30 12:15:10
名前: 初老のおじさん

だみ声さんへ

いつも読ませて頂き、ありがとうございます。最近頻繁におじゃましている「初老のおじさん」です。
書き込み拝見いたしました。
>でも振り返ってみると、僕の意見は究極の所、………に気付きました。<
>やはり僕は僕なりの単なる「井の中」の存在であり、大海を知らぬままの、視野の狭い意見をあたかも大海を知るが如く述べていたのではないかと思うに至りました。<
誰であっても、自分の思慮の範疇以外の事は、計り知れないと思います。そういう私とて同じだと思います。(そこがこのサイトの良い所なんでしょうが)
>配慮のない言葉が随所にあったのではないか、と言う反省をしなければならない時期にあるのではないかと気づきました。でも深く配慮できていない事を書くのは、決していい事ではないはずで、堂々めぐりしております。しばらく座禅して、瞑想にふけってきます。<
私の書き込みの表現がよくなかったかなぁー?とか、云々。色々と考えをめぐらせています。(これも又勉強なんですけど)
書き込みをしてから、「いや?」「うーん?」「字足らず?」っていう事も、しばしばあったりして。(反省)そんなんです。
たしかに、短い期間でしたが、私自身「少し休んだ方が」と思った事もありましたし、それも方法の一つとは思いますが。私にとっても、このサイトは色々と勉強になるし、これからもお邪魔する事と思います。
だみ声さんが「しばらく座禅して、瞑想にふけってきます。」と言われるならば、又登場する日を待つのもいたしかたないのでしょうが、私を含めて、皆さん待っておられますので………。
Re:だみ声親父の反省 ( No.6 )
日時: 2009/04/30 13:55:04
名前: スーパー切り返し

こんにちは。
だみ声さん。

突然の参加、お許しください。
いつも、だみ声さんのご意見等 ごもっともだと拝見しています。
世の中のいろんな考えをもった方がいろんな意見をもって生活している
のが改めて痛感いたしました。
しかしながら、考えの違いを納得してもらうことは、もともと考えの違う方
に同意いただくことなど不可能だと思います。
どうか、だみ声さんの意見を楽しみにしている方が大勢いることをお分かり
いただきまして、決して気落ちされることのないよう憂慮いたします。
無理強いはいたしませんが、今後もよろしくお願いいたします。

Re: だみ声親父の反省 ( No.7 )
日時: 2009/04/30 13:58:01
名前: Kenoken< >

ほんと、文字で気持ちを伝えるのは難しいですよね。
自分で自分のレスをもう一度読んでみて思います。

「打って反省、打たれて感謝」と書きましたが、決してだみ声さんのコメントが悪かったと言っているわけではないので、そのことを付け加えておきたいと思ってもう一度書き込みしました。
Re: だみ声親父の反省 ( No.8 )
日時: 2009/05/01 00:33:53
名前: 白装束

白装束です。いつもだみ声さんのコメント、読ませていただいております。私のスレでもご意見を寄せていただいり、助け舟を出していただいたり、本当にありがとうございます。相手と面と向かい言葉で伝えるのと違い、文章、文字で伝えるのは難しいものです。だみ声さんのコメントは説得力があり、また、相手に反論する時も真っ向からただ反論するだけでなく、感情的にならず理論に基づき、相手を説得出来る方ですね。そしてちょっとだけオチャメなところも… それが皆さんに受けるですよね!私もだみ声さんのコメント、いつも楽しみにしてます。あなたは良き指導者であり、私は『剣道の父』と思っております。だみ声さんから見れば私は出来の悪い娘でしょうか… あまり気にせずに、今までの様にコメント、ご指導よろしくお願い致します。皆さん待ってますよ!
Re: だみ声親父の反省 ( No.9 )
日時: 2009/05/01 01:14:53
名前: 凛美優

『だみ声』先生。

私は、先生がこのサイトでたくさんの返信や書き込みを誠意を持ってしっかりとされている姿勢には、常々感銘しています。私にはそこまで出来ない。

お仕事もご家庭もお身体の都合も、たくさん事情がある中、見も知らない剣道関係者に真摯に立ち向かっておられる。普通の人にはそこまで出来ません。先生だからこそ出来るのです。

剣道の技術がどんなに長けていても、それだけで偉いというものではありませんし、そんな人からどんなに自慢されても、何にも感じません。既にその人には、それ以外の所で勝っていると思えるからです。剣道人として、人格や良識や知識や経験などを多く持ち、何よりも他の人の言うことに、その人の目線に立って耳を十分に傾けることが出来るという所に、その剣道人の評価が周囲から集まってくるのです。

オレは剣道が強いんだと、過去に実績もあるんだと、だからオレの方を見ろと、豪語し自慢したい人、たくさんいるでしょう。現に今もいるでしょう。その人が過去何回剣道日本一になろうとも、そして何百回試合に勝とうとも、そんな人に付いていく人は、ごく僅かです。むしろ、人としての器量を深く厚く温かく発揮できる人には、剣道の技術がどんなに下手でも、周囲の人はその人にたくさん付いて行き、その人の声を常に聞くでしょう。

先生のような立派な剣道人がサイトの書き込みごときで、凹んで、どーするんですか。理解不能な書き込みで、先生を悩ませ凹ませた人…、その人の剣道って、きっと感動のない剣道ですよ。どんなに試合で勝っても、別に強いとも何とも思わない。見ても何も心に感じない、だだの打ち合いだと思いますよ。

普通に、まだ理解不十分の人がいるんだって思っていいのではないですか。先生を支持されている剣道人はたくさんいますから。

別のサイトで『仕太刀』先生でしたか、その通り、無視すればいいじゃないですか。文字で何を言っても、そんな人々には何も分かりません。きっと剣で打突されないと、姿を見て体感しないと、分からない人たちなんです。ま、それでも全く分からない人かも知れませんが…。

この掲示板の目的をよく思い返してみてください。もう悩む必要はありません。
Re: だみ声親父の反省 ( No.10 )
日時: 2009/05/01 07:44:53
名前: 剣哉

こんにちは。だみ声先生。
何を悩むことがありますか!だみ声先生、それと多くの先生方のスレは大変勉強になっております!
他の方のレスに書いてあるスレをよく拝見させてもらってますが、
いつも楽しくみております。この掲示板自体が一つの剣道の参考書でもあるかのように。未だ見ぬ自分の剣道人生のアドバイスにもなってます(勝手なこと思っててすみません)

これからも今までと同じように書き込んでください^0^)ノノ
頑張ってください!!
Re: だみ声親父の反省 ( No.11 )
日時: 2009/05/01 09:44:30
名前: 白装束

…追伸… その前に自分の反省を少々… それはこの掲示板に書き込みをする時、皆さんをニックネームで呼ぶ時に、人によっては『さん』、『先生』と区別して呼んでました。後になって思えば、クレームは来ませんでしたが、これも私は『差別的な事』と思い、これからは段位、称号、経験、老若男女問わず全て名前を呼ぶ時には『さん』で呼ぶ様にします。中には不愉快な思いをされた方もいるかと思います。すみませんでした。だみ声さん、皆さんも言っている様に今までどうりにコメントをだし、又、私達のコメントにもどんどん意見をしていただけませんか!? 正しい事は指導者として自信をもって意見をして来た事、だみ声さんのお人柄は皆さん認めてますよ!『剣道の父』の様な存在… 又、色々と意見を聞かせてください!私達、待ってます。
Re: だみ声親父の反省 ( No.12 )
日時: 2009/05/02 05:43:13
名前: 剣道人口< >
URL: http://kendojinko.com/

だみ声さん

ネットの掲示板ですので、無責任な内容を書き込むことも可能ですが、だみ声さんはご自分の書き込みに責任をお持ちです。

人間誰もが「井の中の蛙」です。井の中であろうと責任を持っている、もしくは持とうとする事が大切だと思っています。

お気持ちが整理されれば、早いうちにお戻りください。
Re: だみ声親父の反省 ( No.13 )
日時: 2009/05/02 11:39:53
名前: 閲覧者

だみ声さんのトピにお邪魔して書かせていただく内容でないのかも知れず、迷いましたが、もしかしたらだみ声さんは深いところであることを悟られて今回このような反省の気持ちを書かれたのではないかと思い、こちらに書かせていただくことにしました。

別にだみ声さん個人への批判とか意見として書かせていただくわけではなく、最近のこちらの雰囲気というか、そういったことから感じたことを書かせていただこうと思った次第です。

ここは剣道の掲示板で、剣道に関わる意見の交流の場ですが、同時に人間の交流の場でもあると思います。
剣道は、心にも体にもとても良い、素晴らしい面をたくさん含んだ内容を持つ性質のものと受け止めています。
人間形成の上で、いろんな面で「こういう部分があるから剣道って素晴らしい」と言えるところが確かにたくさんあると思います。
できれば剣道人口が増えて欲しいと思うことは、剣道を愛する人なら誰でも願うことでしょう。

ですが、別に剣道じゃなくても人間形成は可能ですし、現にあらゆる分野で素晴らしい人というのは存在します。
言ってしまえば、剣道は人間形成に於いて「近道となるヒントがたくさんある」ということで、特に素晴らしいといえるのかな、と感じています。


先日ある方が「あなた何様ですか?」ということを書かれていました。
それって究極のところ答えは「お互い様」なんじゃないのでしょうか。
言う方も言われる方も・・・。
だみ声さんのことを特に指して申し上げているわけではありません。
皆さんに対してそう感じました。
正義の剣を振りかざすかのように感じたことも正直あります。
でもここは剣道の掲示板ですし、愛する剣道に対して「スルーできない」と感じられ、書かれたこととは思いますが・・・。
「人を殺すのに刃物は要らない」と言われます。文字でも言葉でも人は殺せてしまうのだから慎重にならないといけないと思います。
「活人剣」という言葉も聞いたことがありますが、意味はよく知りませんが、本当にそう考えておいでなら、そのようなことは現実の生活でも応用すべきと思います。
生意気にすみません。

上があれば下と呼ばれる部分が出てくる、高いところがあれば低いと呼ばれるところが出てくる、明るいところがあれば暗いところが出てくる、表があれば裏がある・・・宇宙森羅万象、そんな二性性相のもとに成り立っているのですから、議論は永遠に続くということになるのでしょうか・・・。


人間は何のために生きるのか。
結局は魂を磨くためだと。肉体のある今しか成長(生長)できないそうです。
ここは文字だけの世界ですから、心の中で「なんだこいつ」と思いながら、文字ではいろいろ取り繕うこともできますから、本心の気持ちというのは隠そうと思えは隠せるけれども、魂だけの姿になったときに、そんなものは全て隠せませんから怖いですよね。そんな、「顕わになったときの魂を育てる」のが人間の生きる修行の道だと思います。
決して剣道が上手だからとか精通しているとかだけでは素晴らしい人間とはいえないと感じます。
また、個人だけの人生とは言わず「全体の中の自分」の研鑽もしてこそ、まことの人格完成に繋がるそうです。だから人との繋がりが大切なのでしょうね。

嫌味のようだったり挑発的、挑戦的な書き込みは、読んでいて気持ちのいいものではないです。
書き込む側と読み手の受け取り方のズレというのもありますから、一概に言えないのですが、本当に文字の世界というのは難しいですね。

人間は12通りの性質を持つ者に分けられるそうで、それらを全て愛せてこそ人格完成といえると聞きました。とても難しいことです。
愛せない者を愛するのは難しいです。
剣道そのものの修行以上に難しいことです。

でも、剣道の修行はヒントがたくさんあると思います。
「あなたの隙はここですよ」と教えてくださる場面・・・、そして、教えていただいたのだから感謝なのだと思うことと、よく言われますよね。
それを人生に応用して「あなたの非はここですよ」と諭されたなら、それを感謝して反省してゆくことにしてこそ剣道の修行が生きるのではないでしょうか。

剣道はお相手あってのこと。相手の存在に感謝し自分の存在への感謝に結びつくものであること、それはとりも直さず親に対する感謝に繋がるのだと聞きました。
元を正せば人間は本当に同士、兄弟だと言われますから、相手がどんなであれ、認め合うことは必要だと思います。

だみ声さんは多分・・・本心で何処かしら気持ちのいいものではないと感じられ、あるところに深く気づかれ、今回反省のトピを立てられたのではないかと思いましたが邪推でしたらお許しください。
繰り返しますが、だみ声さんだけに申し上げただけではなく、皆さんに対して感じたことを、生意気ながら書かせていただきました。

話が急に飛んだりして、支離滅裂な内容となり、また、気分を害された方もいらっしゃると思いますが、お許しください。
Re: だみ声親父の反省 ( No.14 )
日時: 2009/05/02 16:17:16
名前: 凛美優

『閲覧者』さま。

『だみ声さん』だけでなく『皆さんに対して』とのことですので、書き込みします。
『活人剣』という言葉は、私がよく多用していますので、念のためその言葉の意味を少し私なりに言及します。

この言葉の意味合いを深く理解するのは、やはり剣道の修業を通じて自ら体感しないと、なかなか難しいです。言葉と頭で理解するよりも、体感して初めてその深みを知るものだと思います。
上手く理解されないかも知れませんが、無理して私なりに言葉で表現すると次の通りです。

当初、剣道を初めてそこそこ段位称号が上がり、何となく剣道っぽくなってくるまでは、大体、剣道をしている時の目線は、常に自分から相手に向けられているものです。そこから自分と他人比較という見方が恒常化し、自分対比でどうだこうだ、といった見方や考えに支配されています。しかし、相手と対峙して、如何にして『有効打突』を取るかという剣道の本源的テーマに直面し、その実現に向け取り組んでいくと、『どうしたら出来るんだろう』から始まり、だんだんと、自分の目線が、相手がどうだという見方ではなく、自分そのもののあり方の方に向けられてきて、自分の構え・攻め・理合・気分・気位・先・冴え・機会・足捌き・運び・手の内・目付等々がどんなものなのか、どうあるべきなのか、という回帰的な見方になってきます。そこから更に自分のイメージするあり方を、どうすれば体現できるのか、という域に達し、そこで自己の内面的葛藤と苦悩に入り、そこで自分と自分との闘いが激化する訳です。基本を見直したり、先人の意見や指導を聴いたり、先生の真似をしてみたり、立場の違う方の生き様や経験を見聞きしたりして、その解決を求め探求し、試行錯誤や創意工夫を反復する訳です。まさに『守・破・離』の教えのような過程となります。そんな状態がずっと続くと、もはや相手がどうであってもあまり関係なく、自分がどうかという問題意識に特化され、自分に厳しく自分の設定した自己目標に向けて懸命に努力する・・・、目的は、有効打突を実現したい、ただそれだけ。すると何十回に一度は、たまに目指していた『有効打突』が体現できる局面が出てきます。『おーっ・・・。』って。言葉には言い表らわせないような嬉しさと感謝の念。その瞬間、自分に勝ったと思えるし、相手の方や先人や先生や同輩後輩などの皆さまに計りしれない感謝の念が湧き出てきます。自分一人で出来たのではないと。周囲の人々がいたから出来たのだと自認する訳です。それでもまだ、何十回に一回しか、しかもまぐれ的にしか出来ない。その実現精度を高める努力を継続すると、相手から自分の求める理想的な有効打突をもらうことがあり、それによって、相手に打突されて初めて分かる自分の未熟さと欠点がより一層具体的に自覚されてくるのです。まさに自分でも分からなかった不完全さが相手の立派な打突によって教えられるのです。そこに『打たれて感謝』という概念が生まれ、『頂戴しました。』『ありがとうございました。』という気持ちになります。相互に自分自身と闘っている方が、お互いの剣体技をお借りして、切磋琢磨する。その結果、相互に自分に打ち勝つ自分を形成し心身共に強くなっていく。剣で人を殺す『殺人剣』ではなく、相互に人を活かす『活人剣』とは、そんなものだと思います。お互いに剣を交え、そこから相互に人としての愛を知るというような感覚が、皆、心の奥底で忘れることが出来ず、故に、『もう一度お願いします。』、『またお願いします。』と言って、立派な剣士には人はお稽古をお願いするものだと、私は思っています。
『活人剣』の奥深さは、頭で概念的に理解するものではなく、体感するものだと思います。『よく意味が分からない』と仰らずに、それを感じるまで、ひたすら剣を持って無心で打ち込んでみてはいかがでしょう。
Re: だみ声親父の反省 ( No.15 )
日時: 2009/05/02 17:19:28
名前: 閲覧者

凛美優さま。

活人剣の意味はなんとなくそういう意味ではないかと受け止めていましたが、私が言いたいのは、それがどのような深い意味があり、剣道を極めてみないと解らない言葉であろうとも、とどのつまりそれを現実の生活に生かした生き方につながらなければ意味がないと申しますか、剣道の世界においてのみ通用するのであれば意味がない、くらいに考えているのでそう申し上げたのです。

剣道の教えはいろいろ素晴らしい内容があります。
でも、剣道の修行を切り離したところでも同じようにその考えを生かし切れていない行動言動があったとすれば、生きてる中でどれほど意味を持つものになるのでしょう。
そういう意味で申し上げました。
Re: だみ声親父の反省 ( No.16 )
日時: 2009/05/03 01:40:51
名前: 凛美優

『閲覧者』さま。

先ほどお稽古から戻り、一段落して今また拝読しました。遅くにすみません。

ご指摘の通り、実生活の中で何も生かせなければ、あらゆる教えも意味がありません。しかし、剣の教えは、剣道の世界だけで通じるものでもありません。剣の道は人格形成の道ですから。しっかり一般社会で生きてきます。また十分に一般社会に寄与する教えだと思いますので、どうぞご安心ください。

私は今、投資銀行に勤務する会社員ですが、金融の世界で長い間ずっとこの資本主義の歪みを見てきました。今もですが。組織管理や業績業務管理や人事労務管理や顧客管理等、多くの場面で、少なくとも、私は、剣道は下手ですが、剣道の教えは相当それらに生きています。プロの企業人として、プロのビジネスマンとしての判断や考え方や見方など、剣の教えが反映されているからです。

剣道の教えがこの世に普遍的に通じ寄与するかと、大上段に取られては、何も言えなくなります。なぜなら、この世は千差万別、無数の価値観と知的教育水準や生活社会水準や宗教観や常識感に溢れ、法治や行政のあり方に至るまで多様化しており、これが全世界で王道たる考えと教えだと、声高に強調できるものは何一つありません。世界を見てください。人殺しのない当たり前と思える平和でさえ、どこの国や地域でも、実現している所は一つもありません。

世の中はそれ程に多様なあり方をしているため、我が国に範囲を限定したとしても、千差万別という表現に変わりはありません。このサイトに来られる剣士の皆さまも、それぞれ多くかつ多様な事情を背負って、その中で、剣道と関わりがあるという、たった一つの接点だけで、文字だけの意見交換等をしているのです。全員が剣道の教えを心に置き、それを中核に置いた生活を実社会でしているか、といわれれば、そうでない剣士もいますので、回答はネガティブです。しかし、全員がそろってそうでなければ、剣の教えは実社会に生きてくるものではないと言えるかというと、それは全く違います。

また、剣の教えを完璧に実社会で生かし切れていないのも事実です。しかし、だからと言って何もしない、その教えが無意味だ、生きる過程の中で意味を成さないと断定するには、極めて拙速であると言わなければなりません。それでは、ただの問題解決の態勢を伴わない口先批判になってしまうのです。

このサイトに来られる先生方は、私の感じる限り、懸命に剣の教えを体得しようと自ら努力し、実社会に完璧に生かし切れていないながらも、せめて剣道の世界だけでも、まずは体得しようと努力しているのだと思います。よって、このサイトでの意見交換という、その僅か一場面だけを捕えて、剣の教えは実生活に生かせなければ意味がないと断定して書き込まれれば、それは全然違うでしょうとなるのは必至だと思われます。

生かし切れていない行動言動が一つでもあって、生きてる中でどれほど意味を持つものになるか、その答えがすべて予め分からなければ全てネガティブとなる、というのであれば、それこそ、今そんな考えで生きていることこそ、幅と深さのない狭い生き方だと言われても仕方がありません。私は、人は不完全であっても、自ら持った自分に関する問題意識を、自分の努力と創意工夫によって、自分のペースで解決し切り開いていくことに、生きていることの意義を深厚していくものだと思っています。批判すること、問題指摘をすること、それは、その気になれば、誰でもいくらでも出来る簡単なことです。真摯に心から悩んでおられる方に、そんな接し方はしないで欲しいのです。

もともとこのサイトにスレを立ててお話しをしている方は、皆、剣道がいろいろな形で好きな人なのですから。それぞれの表現で、それぞれの話し方で、皆、書き込みをしているのです。もともと剣道が嫌いでイヤでつまらないと思っている人が、普通、わざわざこのサイトにスレなど立てないでしょう。立てたとしても、過去にも散見されましたが、単なるひやかしか、からかいか、荒らしでしょう。たまに剣道が原因で心に傷つきイヤになった人もいるかもしれませんが…、でもそんな人には、皆、温かく迎え入れて来ているでしょう。

剣道が好きな人同士が剣の教え等を体得し、それをお互いに教示し合って、励まし合って、頑張っている様を、何人も批判は出来ない筈だと思うのです。その様を傍から見て、いいなって思う人は、経験や年齢や性別等に関わらず、誰でもこのサイトに入って来れる訳です。来る者を拒まず、去る者を追わず、微力で地道ながら剣道の普及に尽力している方々がたくさんおられるのです。その人を心から想い、真剣にその人のためを思って言う心ある批判は、誰しも甘んじて受けるでしょう。でもそれが分からない場合もあります。ですから、批判する方も、本当に心ある批判なら、それに十分配慮して物を言うべきだと思うのです。サイトにおける短い文字だけの意見、それを誤解される場合、程度の問題もありますが、誤解する方がおかしいと拙速に認識するのは違うと思います。書き込みされる方も、誤解されぬようしっかりと考えを表記するべきです。それがなければ、何とかちゃんねるのようなチープなものになってしまいます。
Re: だみ声親父の反省 ( No.17 )
日時: 2009/05/03 05:59:36
名前: 閲覧者

残念です。
受け取られ方が違っています。
剣道の教えが世間に通用しないと表現したわけではないのです。
剣道の教えはむしろ世間に通用するものです。
それを「生かした生き方になってなければ」無意味だと申し上げたのです。

最近のこちらの雰囲気がそのように「感じられた」ので・・・。
私は荒らしや冷やかしを書いたつもりは全くありません。
ものすごく残念です。

せっかく素晴らしい剣道の教えを受けていながら、それが皆さんの考えと違うからと言って、斬って捨てるような雰囲気が感じられたから何か違うんじゃないのかなと感じたからお邪魔したのです。
だみ声さんをはじめ、皆さんを責めたつもりもありませんで、むしろだみ声さんはそこに「気づかれて悩まれて反省された」のでは・・・と謙虚な方だと感じた次第です。僭越でしたか。
それが私のおせっかいだったとしたらもう何と申し上げたらよいのかわかりません・・・。

ただ・・・私は見ていて、意見を集中して受けている方はだんだんと「頑な」になってしまうものなんじゃないかと思いました。心にもないことを逆に吐かせる結果になっていたのかもしれないと。愛する剣道を守るほうも必死、ですが集中していろいろ言われる方もあらゆる意味で「お気の毒」だと感じてしまったのは事実でした。

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