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地稽古について
日時: 2016/05/10 12:41:37
名前: こてまる

ご無沙汰しております。こてまると申します。
地稽古(互角稽古)についてご質問させていただきます。
よろしければご助言お願い致します。

私は38才4段で、同格相手の地稽古です。
よく打って勝つな勝って打てともうしますが、攻め勝つまでは打つのを我慢したほうがいいのですか?もちろん攻め負けてたり何も考えず打って出るのとかは論外ですが、確実に攻め勝ってる瞬間も多くあるわけでもなく、
攻め勝ってるかも、負けてるかも、の微妙な時間がほとんどだと思います。
勝って打つを理想とし我慢した剣道をすると、稽古中だいぶ手数が減ります。
相手が打ってきたのに対し、受けたりさばいたりも多くなります。
姿勢を崩さずさばいてここだという時に打つのは、はたから見ればかっこいい剣道ですが、なんか自己中な地稽古になってないかと不安があります。

私の性格的には、相手が打ってきたらたとえ自分が攻め勝っていなくてもなるべく自分も打って出て勝負したい。打ち合う事で相手の為にもなり、自分の勉強になるので、相手が打ってきた時に打つのを我慢して、出頭を抑えてさばいたりをしたくないというか、していいのかなと思っています。

長くなってしまいましたが、攻め勝つ事を大事にして我慢した方がいいのか、せっかくお相手が打ってきたなら打たれてもで勝負したほうがいいのか。極端にではなくてもどっち寄りなのでしょうか。
試合用や審査用の稽古ではなく普段の地稽古(互角稽古)です。

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Re: 地稽古について ( No.1 )
日時: 2016/05/10 15:25:57
名前: だみ声< >

こてまるさん こんにちは
僕ごときが言うのもおこがましいのですが、自分のおさらいの意味も込めて書かせていただきます。

>打って勝つな勝って打てともうします
   稽古中にこれを感じるのは、攻め合って…仕掛けた時であれ、同時であれ、返した時であれ、「打ち勝った」
と感じた時、今のが「勝って打った」んだな、と言う感覚ではないでしょうか?

攻め合っている最中に「攻め勝った」と確信してから打ちに行く事ってあるのでしょうか? もちろんそういう状況
で打ち勝った時が「本物の勝利」だと思いますが、年に何回もないんじゃないでしょうか?
つまり「勝って打った」と感じるのは「打ち勝った後」であり、打ちに行く前で感じる事は僕の経験では極めてまれ
な事だと思います。 互角稽古では皆無だと思います。 更にたいていの場合、「打ってみたら勝った」であり、打
ってから勝ったと言う平凡なものが多いのが普通だと思います。 ここには打突の好機でない所で打っていることも
含まれます。

逆に「攻め勝った」と確信してから打ちに行ったのに、打たれたこともあるはずですが、これって相手に攻め勝たれ
たことになると思います。 状況としては誘い込まれた結果であり、相手の術中にはまったのだと思います。

>攻め勝ってるかも、負けてるかも、の微妙な時間がほとんどだと思います。
   この感覚を磨いて勝率を上げる工夫が、「稽古の醍醐味」ではないでしょうか?
   とは言え、相手も同じことを工夫しているのですから、簡単に勝率はあがりません。  でも毎回同じ相手と
稽古しても、発見もあるし、反省も繰り返すわけです。

1.>自分が攻め勝っていなくてもなるべく自分も打って出て勝負したい。
2.>姿勢を崩さずさばいてここだという時に打つ
3.>相手が打ってきた時に打つのを我慢して、出頭を抑えてさばいたりをしたくないというか、していいのかなと
思っています。
4.>せっかくお相手が打ってきたなら打たれてもで勝負したほうがいいのか。 極端にではなくてもどっち寄りな
のでしょうか。

いずれも互角稽古の中で工夫する内容だと思います。 良し悪し、優先順位など関係なく、一連の地稽古の中で、相
互に工夫しながら切磋琢磨するのでいいのではないでしょうか?
特別に相手にお願いして、1だけとか、2だけの稽古もあるでしょうが、約束稽古のようになってしまいがちです。
真剣な緊張感の中で工夫するのが、地稽古だと思いますので、自分でテーマを作ればいいと思います。
Re: 地稽古について ( No.2 )
日時: 2016/05/10 16:32:08
名前: いもむし

私もおさらいの意味を込めて、書かせていただきます。
我慢は大事だと思います。手数もそんなに多くないです。私は1分半の稽古を先生方と多くやりますが、打つ打たれるのは、精々2本とか3本です。
私の場合は、常に攻めてるつもりですが、行くぞ、打つぞというよりは、来るなら来いと言った感じでしょうか。攻め続けてお相手の隙が見えた瞬間(お相手打ちにでる刹那)に打ってでます。もしくは、お相手が我慢できなくなって、打ってきたところを捌いて打ちます。捌いただけ、受けただけではダメだとおもいます。打たなければ。
例えば先生との稽古で、ここだ!と打って出て先生が受けただけだったら、俺の勝ち。と思ったりします。

稽古ですが、出来たらシーンと静かなところでやってみて下さい。私も他の剣友より1時間早く先生と待ち合わせ、道場で2人きりで稽古するときがありますが、色々な発見があります。集中できるからだと思いますが、自分の呼吸の音が邪魔なので呼吸を止めて、攻めているとお相手のわずかな動き、心の動揺が良く見えたりします。
オススメです。
Re: 地稽古について ( No.3 )
日時: 2016/05/10 17:58:06
名前: せいちゅうせん

こてまる様

失礼します。せいちゅうせんと申します。
私は少し変わり者ですので聞き流してくださいね。

「打って勝つな勝って打て」は難しいですよね。

「攻める→攻め勝つ→打つ」の三段階あるとなると「攻め勝つ→打つ」に二段階も手間が掛かってしまう。
でも、勝ったと判断できた瞬間には全てが終わっていないといけないと思うのです。

ですから「打って勝つな勝って打て」は闇雲に打って出るだけではなく攻めを錬りなさいという忠告ということでいいのではないでしょうか。


実際、攻めには「打ち攻め」というのもありますから、三段階に分けて考えるのは違うのではないかなあと思います。

で、私は相手が「ああしよう」「こう打とう」「引きだそう」等と意図してくれる切っ掛けを作り出せればいいと思っています。
こういいますと、「こちらが何かを仕掛けて相手が何かを意図する」というだけに思われそうですが、不思議なことにな〜んにも仕掛けないとか、ただ打たれにいくというのも相手が意図をもつ切っ掛けになったりもします。
こちらは何にも崩れてないのに相手が「勝った」と錯覚してくれるのも攻めなのです。

また、「我慢」というのもやっかいです。一つ間違えば単なる居つきとなります。

色んな言葉がありますが、言葉をなぞるように稽古しても言葉通りにはならないと思っています。なぜなら文法に縛られた動きにしかならないからです。
地稽古中に文法で考えているとその言葉に縛られます。
野生動物が文法で考えているでしょうか。でも、野生動物はきちんと攻めはありますよね。
蛇やスローロリスのエサの捕獲シーンなんてゾクゾクしてしまいます。

動きを言葉に置き換えるのはそもそも限界があることを分かった上で、その言葉の本当の意味を体で感じていくしか錬る方法はないのだと思います。

Don’t think! Feelであります。
Re: 地稽古について ( No.4 )
日時: 2016/05/12 19:00:54
名前: こてまる

皆様ありがとうございます。
時間とれず明日返信させていただきます
Re: 地稽古について ( No.5 )
日時: 2016/05/12 22:59:04
名前: さかちゃん
URL: http://blog.goo.ne.jp/dokoda2006/arcv

こてまるさん

はじめましてさかちゃんと申します。

皆さんの「勝って打て」談議が楽しそうでついつい書き込みさせて頂きます。

今の私にとっての「勝って打て」は、自分は十二分の状態で相手の心を動かし行動を起こそうとした時又は行動に出た時に斬るです。

自分は十二分とはですね、体は打ちだしているが手元はそのまま、予備動作も何もしなくても後は斬るだけの状態
(”体は打ちだしている”はちょっと語弊があるかもしれません)
この状態で相手に「来た!」や「ココだ!」と思ってもらい自分から打たれに来てもらう

こちらは十二分なんですから余裕があります。飛んで火に入る夏の虫状態w
はいはい〜ポコと刈り取る感じ

中学生相手なら簡単にできるんですが、高段の先生方相手だとそうはいきません。
いつの間にかこちらが飛んで火に入る夏の虫状態・・・参りました・・・なんですけどねw

「今の私にとって」と前置きしたのは、この先があると思っているからで
目標は相手の意識が動いた瞬間を斬り取るです。
(ちょっと竹刀に気が行った瞬間などなど)

Re: 地稽古について ( No.6 )
日時: 2016/05/13 13:52:49
名前: こてまる

コメントありがとうございます

>だみ声先生
>稽古中にこれを感じるのは、攻め合って…仕掛けた時であれ、同時であれ、返した時であれ、「打ち勝った」と感じた時、今のが「勝って打った」んだな、と言う感覚ではないでしょうか?

それは「勝って打った一本」って事になりませんか?
「打って勝つな勝って打て」はあたったあたらない返されたは別として
せいちゅうせん先生がおっしゃるような、闇雲にあたった打ちでなく
打突の好機を見定め打つようにしなさいという
『教え』だと思っていますがどうでしょうか?
攻めに関しては、攻める攻めるいってるが、攻めはちゃんと効いてるのか?
相手が崩れる攻めができんのか?と言われたら
できてませんなので、今の私の技量の攻めとご理解下さい。

>いもむし先生
>捌いただけ受けただけはだめだと思います。←そう思いますそこなんです
合気を気にしてる方が相手なら受けただけだと「あぁくそ出られなかったな」
ってなりますが、比較的手数の多い方が相手のときは一打一打なるべく勝負にで
ますか?それともまだここじゃないと受け捌いたりしながら
ここだ!という機会を大事にしますか?
良い稽古場があってうらやましいですね。
私は大人との稽古は地区連盟の稽古会に参加させていただいてます。

>せいちゅうせん先生
そうですよね。我慢 溜め 待ち 居つき は紙一重ですよね。
私が使った「攻め」という言葉は気攻めや誘いなども含めた漠然とした言葉と
お取りください。「攻め」を語るには私はまだ未熟者です。せいちゅうせん先生
の言うように言葉に置き換える文章力もありません。未熟者なりの攻めとご理解
下さい。

>さかちゃん先生
わかります。私は「一瞬の溜め」と自分用語で呼んでます。
>(”体は打ちだしている”はちょっと語弊があるかもしれません)
面に行く時、重心がすこ〜し移動始め、踏み込み足の右足が床をすべるように
すこ〜し出た時の一瞬の溜めのとこですよね?
「今の私にとって」というのはよく解ります。剣道の教えは自分の成長や
技量によってとらえ方は微妙に変わっていきますよね。


>皆様に
例えばどっちもお強いA先生B先生お二方がいたとして

A先生は相手の打ちに対して一つ一つ丁寧に勝負して打つ先生で、
B先生は相手の打ちを受けたり捌いたりしながらここだという時に
打って出る先生

私はA先生のようなタイプなのですが、B先生のように無駄打ちを少なく
捌きながら好機を狙ったほうがいいのかなとか思ったのです。
でも無駄打ちと思ってる打ちも互角稽古でほんとに無駄な打ちなのか
とも思ってまして、質問させていただきました。
Re: 地稽古について ( No.7 )
日時: 2016/05/13 17:46:05
名前: いもむし

私の場合は同じぐらいのレベルで、同じような課題を持っておられる方、もしくは上手な先生との稽古で、合気でないと思ったら打ちに出てこられる刹那にスッと前に出て竹刀を抑える、若しくは打ってこられたら前にでながら胸突きをする場合があります。
できれば、相手の不意の打ちにも動揺せず構えを崩さず一歩出て胸突きが、相手にも自分にもいい稽古になるとおもいます。一歩出て中心と構えを崩さなければ胸突き、竹刀をそのまま振り上げれば擦り上げでも、返しでも応用がきくと思います。
こてまるさんの感じておられる課題にまだ気づいていない方との稽古では、打たせてあげればいいと思います。それでもこてまるさんには打突の機会の稽古を大事にしてもらいたいと思います。
Re: 地稽古について ( No.8 )
日時: 2016/05/13 17:57:49
名前: いもむし

A先生、B先生の例えですが、相手によってだと思います。中学生、高校生相手であれば、A先生。こてまるさんがお相手であれば、B先生の様に稽古するでしょうね。レベルも課題も違いますから。ただ、中学生相手でも自分の課題の稽古はできると思います。
Re: 地稽古について ( No.9 )
日時: 2016/05/13 18:45:18
名前: せいちゅうせん

こてまる様

あくまで私の場合ですが、捌いただけ、受けただけで終わってしまったときは
「あ〜残念、機会を一つ自分でつぶしてしまった」と反省します。
そういう場面を何度も思い返しながら「それが出来るのなら、もっと何か出来るんではないか」と基本稽古や形稽古をしています。

五輪書は、剣は斬るために持つのであって防御のために持つのではないと言っているように思いますので(有構無構)。

だからといって相手が闇雲に打ってきたときに、こちらも合わせて真正面からスピード競争をするんではなく、応じ返し打ち落としなどの「技」が出るようにしたいと稽古中です。

Re: 地稽古について ( No.10 )
日時: 2016/05/14 03:12:33
名前: だみ声< >

こてまる さん
>それは「勝って打った一本」って事になりませんか?
結果としてそういう事なのですが、攻め合っている時に「勝って打つ」と思っていても、反対に打たれること
もあるわけですから、僕の今の感覚としては「勝ってから打てた」と感じるのは「打ち勝った後だ」という事
なのです。

尚、当たってなくても「打突の好機は逃してない」と言うのもありますが、やはり部位は捉えておくことも勝利の重
要な要素だと思っております。(かと言いつつ、僕は勝利至上主義者ではありません)
いずれにしても「感覚」の問題なので、それぞれのレベルにおけるものだと思います。
自分では「勝って打った」と悦に入っていても、更なる高段の観戦者からは、「攻め勝ってから打ってない」「もっと
我慢しろ」と言うご指摘もあったりするのです。 そして我慢しているつもりが「居つき」に陥ることも起こります。

>攻める攻めるいってるが、攻めはちゃんと効いてるのか?
   万人に通じる「攻め」も存在しないと思っております。 ある人には有効ですが、別の人には全く効かない事
もあるのが「攻め」であり、永遠の研究課題だと理解しております。

>打突の好機を見定め打つようにしなさいという『教え』
   この「見定め」が相手とのレベルの差、相手の剣風に寄りますし、同じ相手でも立ち会う毎に異なります。
   従って、見定める「時」も、都度相対的に変化しているから、やはり永遠の研究課題だと理解しております。
Re: 地稽古について ( No.11 )
日時: 2016/05/14 10:05:04
名前: さかちゃん
URL: http://blog.goo.ne.jp/dokoda2006/arcv

こてまるさん

私は先生ではありません。
24年間も剣道から離れていて最近剣道を再開したおっさん43歳ですw。
(防具を着けてまだ1年未満、段位だってまだ参段になったばかりなんです)

低段者が言っているたわごとと思って聞いて頂ければ幸いなのですが

>面に行く時、重心がすこ〜し移動始め、踏み込み足の右足が床をすべるようにすこ〜し出た時の一瞬の溜めのとこですよね?

ん〜私の言いたかったこととは違う気がします。

私の書いた”体は打ちだしている”は一瞬ではありません。
先を懸け体を前に進めている間ずっと、もっと言えば構えた時には打つための予備動作(これも語弊があるかも)の大半は完了していて”体は打ちだしている”です。

打突の好機についても私の考えを書かせて頂きますと

「打突の好機」は自分で作り出すものだと思っています。
打たれるかもしれない間合いの中へ自分の身を進めて作り出すんです。
それでも「打突の好機」を作り出せなければ面でも小手でも相手に晒してでも作り出す。今、私の考えている「攻め」はこれです。

この「攻め」で相手の心を動かし「打突の好機」を作ってそこを刈り取る

ですので、A先生B先生の話はどちらもありかと思いますが条件付き

A先生の勝負するは「打突の好機」を作り出した上での勝負

B先生の「打ちを受けたり捌いたりしながらここだという時」にいついては
「打ちを受けたり捌いたり」と「ここだという時」がほぼ同じタイミング
(自分から先を懸けられなかったり、作り上げた打突の好機を仕留め損ねると「打ちを受けたり捌いたり」だけになってしまう)


Re: 地稽古について ( No.12 )
日時: 2016/05/17 17:20:10
名前: こてまる

貴重なご意見ありがとうございます。
少しの間、B先生のような感じで居つかず足を出して捌くように心がけ、
今より崩しや誘いの攻め合いを大切にやってみます。
微妙な年齢ですので、まだまだ瞬発力やスピードでも負けないぞって気持ちがあったのかもしれません。

私も16年?ぶりに始めたリバ剣ですが、学生時代の試合剣道の
余計な所は忘れてしまって、以外に今の方が剣道が綺麗になってますね(笑

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