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せいちゅうせん 様
日時: 2017/08/06 22:16:38
名前: だみ声 < >

せいちゅうせん 様
蒼月 ちゃんの「好きな稽古」では長くなりそうなので、新しいスレッドにしました。 とは言え僕からは形に関し
てさほど意味のあることが述べられるレベルでない事をお断りしておきます。

まず…
「機を見る」→「機を観る」 心眼でしか感じ取れない部分ですので、たしかに「観る」がふさわしいと思います。

>目のない深海魚などの捕食の方法はこれをやっていると考えると楽しいですね。
   まさに、「観る」しかできない彼らの進化の為せる技… とでも言いまようか?

>この電気信号を相手に察知されるんではないでしょうか。
   かつて寺の境内で、禅僧と一緒に座禅を組む武蔵の近くに来た蛇が、僧の膝には乗っかって通過したのに、武
蔵の膝は迂回した。 それを見て座禅中なら武蔵も切れる、事を試そうとした剣士は、そそくさと引き上げた…
と言う逸話がありますが、なんか通じるものを感じます。

日本剣道形4本目に関する、問1,2,3ですが、以前「さかちゃん」さんの「無意識に体が動いた」スレッドにあっ
た、右脳左脳の活用と五輪の書の解説、腰抜き、膝抜きも含めて、正直「難題」です。

股関節を抜く、脊椎・胸椎を自分の意思で動かす、そして筋力に極限まで頼らないなど、確かに異質な感じもします
が、五輪の書にある内容を研究して行くと、こういう考え方もうなずけます。

「合気」の間には2人の間に、「相手の意図」だけがある、と言う考え方も理解はできますが、実践できていること
はないとしか言えません。 いつも「打つぞぉ〜〜っ」丸出しです。

「勝って打て」はよく耳にしますが、「負けて打たれよ」の方が結果勝てると言うのも興味深いですが、やってみた
ことも意識したこともありません。 と言いつつ、今度試しにやってみようと思います。

>問題集全部消化していって体の使い方の「根理」を得て、初めて1つの技が可能となる。
   これには相当の研究期間が必要で、いつ完成とも言えない状態なのに、「試しにやってみる」なんて、臍が茶
を沸かすワイっ だと思いますが、やってみます……… ねっ。

>形稽古は頭ではなく体が気付くための問題集です
   これは少しわかりますが、こういう動作を竹刀剣道に関連付けて、稽古する場がないことも大いに反省します。

>ははは、やっぱり私は相当な変わり者で間違いありません。
   本当の意味で剣道研究家なのだと思います。  失礼かもしれませんが、ご意見をうかがっていて感じるのは、
古武道研究家の「甲野善紀氏」に共通する所もあるのではないかと言う点です。



別スレッドで頂いた、せいちゅうせんさんのコメントに、新スレッドを立てましたので、分かりにくい点をお感じな
った読者の方には、申し訳ありません。

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Re: せいちゅうせん 様 ( No.1 )
日時: 2017/08/08 11:16:49
名前: せいちゅうせん

だみ声 様

ありがとうございます。
以前の記述まで気に留めていただいて、有り難うございます。

私も、まだまだ研究過程でありまして、正しい成果となっているかどうかが問題です。

まだまだ、多くの気づきを得られるよう楽しんでいこうと思います。

私が書いたことを私自身が、いつもできるかといえば、まだまだ全然ダメなんです。

少し間違えば、単なる待ち、単なる棒立ち、無謀な捨て入り、になります。
心の置き方がブレるとたちまち体もブレる。
だからと言って露わな気迫で固めては元も子もない。

心を真ん中に置きながら静かに揺るがせ、更にその揺るぎの中にも一瞬も揺るぎを止めないよう揺るぎ続けるという難題に挑戦しているのですから。

そういう心も、体の使い方が間違えば宿しにくい。
心も体も両方正しくありながら、双方が引きずられることのない状態って難しいです。
しかし、小さなブレが段々大きく感じられる(更に更に小さなブレを感じ取れる)ようになってきているのでこのまま練っていこうと思っています。


>かつて寺の境内で、禅僧と一緒に座禅を組む武蔵の近くに来た蛇が、僧の膝には乗っかって通過したのに、武蔵の膝は迂回した。 それを見て座禅中なら武蔵も切れる、事を試そうとした剣士は、そそくさと引き上げた…と言う逸話がありますが、なんか通じるものを感じます。

そんな話があるんですね。
大いに武蔵の考え方には関心ありますが、実はあまり歴史や逸話には興味がないのです。
そのお話は、武蔵は、座禅中にも殺気立っていたとか、気だけで蛇を感じ取り追い払ったと言いたいのでしょうが、私が五輪書から感じる武蔵ではありません。

蛇は単に自由に動いてたのを見ていた者が、勝手に思い違い、恐懼疑惑を自ら作り出したという話としては面白いですが。

現代の宮本武蔵のイメージをつくった吉川英治は五輪書を全く読んでない、いや敢えて五輪書の記述を無視してるので小説として面白いのかもしれません。


>「勝って打て」はよく耳にしますが、「負けて打たれよ」の方が結果勝てると言うのも興味深いですが、やってみたことも意識したこともありません。 と言いつつ、今度試しにやってみようと思います。

「あ、な〜んだ、こういう意味か」となることですから、是非何度も何度も失敗して、言葉の先入観にとらわれず、挑戦してみてください。
結局は覚悟を決めるということだと感じています。

人生経験豊かなだみ声さんなら、失礼かもしれませんが、今までの積み上げたものや常識を大事にし過ぎないようにすれば、「あら?」という感じで見つかると思います。

また、中学生指導しているだみ声さんですが、中学生は恰好の稽古相手ですね。
そこで真剣に色々打たせて気づきを得て、同等の相手に打たせ、上位の相手に打たせと精度を高めていけば必ず見つかると思います。

体に本来備わっていることなんで、半年で「あら?」となっても悔しいですが不思議ではありません。

楽しんでください。


「問題集全部消化していって体の使い方の根理を得て、初めて1つの技が可能となる」と書きましたが、日本剣道形は、いろんな流派の寄せ集めなんで体系的になっておらず、しかも中学生の正課用ですから道徳教育的部分など色々含まれており、また解説も踊りの振り付けのような解説なので(「自得せよ」なのでしょうが)、これだけではなかなか体の使い方の根理を見つけ出すのは困難になっていると感じるのも本音です。

実際、日本剣道形の制定に携わった方も含む大先生方々が「これだけでは形を知ったことには全然ならない」という意味のことを異口同音におっしゃっているとおりです。

日本の武道こそ世界文化遺産だと思います。スポーツ的なことに心奪われるのは非常にもったいないことと思います。
Re: せいちゅうせん 様 ( No.2 )
日時: 2017/08/23 01:22:50
名前: だみ声< >

せいちゅうせん様
返信が遅れて申し訳ないです。 いろいろ吟味し、考えたり、やってみたりしておりますが、にわか仕込みにそんな
進展があるわけもなく、試行錯誤して行きたいと思います。
>心の置き方がブレるとたちまち体もブレる。
   まさにその通りと言うか、常時ブレっぱなしで、安定した動作が出来ていないと言う所です。

蛇が座禅を組む武蔵の膝を迂回した話は、吉川英治でなく、小山勝清の「それからの武蔵」にあったと記憶しており
ます。 つまり巌流島の戦いの後、熊本の細川家にいる頃を題材としており、激しい戦いの描写は少なく、霊厳洞で
五輪の書を書き終わるまでの経緯の一部だったと思います。
まさに座禅を組む時も、隙を作ってなかったと言う描写だったと思います。 仏教でいう「無」の境地は武蔵にとっ
ては襲撃に対応しきれない、と言うやり取りがあって、不動明王が持つ剣の意味を話題にした後、禅僧と2人で座禅
を組んだ時だったと記憶しております。

>結局は覚悟を決めるということだと感じています。
   すらりとこういう事が書けるせいちゅうせんさんの修行、思考の深さを感じます。 僕個人はいつも煩悩の虜
としか感じていないので…。

>中学生指導しているだみ声さんですが、中学生は恰好の稽古相手ですね。
   中学生たちはいい迷惑かもしれませんが、確かに格好の稽古相手です。 リバ剣以後の昇段審査は、もちろん
上位の方にもお世話になりましたが、彼等のおかげも同じぐらいあって合格させてもらったと思っております。
そういう意味で剣道は、「世代を超えて共に学び合う道である…」を大いに楽しんでおります。

>日本の武道こそ世界文化遺産だと思います。 スポーツ的なことに心奪われるのは非常にもったいないことと思います。
   戦後GHQから剣道復活を認めさせる「方便」的な内容が、今日伝統文化としての剣道の「軸ぶれ」を引き起こ
している点があるのかなあと思います。

返信をいただいてから、2週間もたってしまいました。 地元中学生もあと1週間で夏休みが終わります。 稽古と
勉強の両方をかなりこだわってやらせてみました。 成果があればいいのですが… 二学期以後が楽しみです。
Re: せいちゅうせん 様 ( No.3 )
日時: 2017/08/23 18:29:51
名前: せいちゅうせん

だみ声様

>戦後GHQから剣道復活を認めさせる「方便」的な内容が、今日伝統文化としての剣道の「軸ぶれ」を引き起こしている点があるのかなあと思います。

そうですね。剣道でそこに気づいた人は、他の武道に行ってしまうことが多いでしょうね。
私も古流や琉球空手なども勉強してますが、剣道の少年指導をしていた際の子供らが剣道を続けていてくれて、私と稽古するのを楽しみにしてくれているのです。
だから、私が本来あるべきだった剣道を探り当てて自身で体現できるようになって彼らと接する責任も感じているのです。

競技は、やってはいけない動きがたくさんあって、ルールに守られてポイント合戦するので、動きの幅が極端に狭まります。
その狭い動きの中だけで勝負するので剣道全体も狭くなるのです。

突かれて怒るとか、防具のないところを当てられて腹立てるとか、相手の打ちは軽かったから打たれてないとか、もう自分自身の動きを考え直そうとするのではなく、相手や審判のせいにしてればいいのですから、武道本来の身体操作と心の在り方の本質に近づけるはずもないんです。

教え子には知ってもらいたいので私の研究は終わらないわけです。

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