Re: 剣道の面白さ ( No.1 ) |
- 日時: 2019/07/02 02:41:02
- 名前: コールセンター
- 一本取った時ですね
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Re: 剣道の面白さ ( No.2 ) |
- 日時: 2019/07/04 17:36:29
- 名前: だみ声<
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- 剣道に限らず、何事も「のめり込んでいる時」が最も面白いと感じている時ではないでし
ょうか? そしてのめりこむ程度は一定ではなく、かかわる時間と到達レベルにおける 感じ方で結構アップダウンがあるのが普通ではないかと思います。
剣道の面白さもいろいろ変化するものだと思いますが、初期段階では竹刀の持ち方振り方、 すり足、歩み足、継ぎ足、そして打ち方などに関心がある。 そして早く防具を付けての 打突稽古をやりたいものだと、日々基本動作の繰り返しをやるのではないでしょうか?
そのうち打突のための基本技となり、苦しい掛り稽古に辟易し、この段階で挫折する子も 出てきますが、乗り越えた先に部内戦での勝利経験もあり、対外試合での勝ち負けを経験 します。 勝てる喜び、勝てない悔しさもありますが、えてして勝てる子に「手抜き」が 見え始めるのもこのころです。 ここを上手に乗り越えさせないと、すぐ訪れる「勝てない時期」で辞めてしまう子もいま す。 結果は、勝てないけれどコツコツやって来た子に「芽生え」が訪れ、こういう子が活躍し 始めます。 そしてこういう子にこそ、剣道の面白さに出会う機会が多いのではないでし ょうか? と言うか剣道に関する些細な事にも、面白さを感じる事が出来るのではないで しょうか? 若い頃にこういう経験があって、途中稽古出来ない時期もあって、それでも何かの機会で 稽古を始めたが最後、剣道の何もかもが面白くなってしまうのではないでしょうか?… もちろん途切れることなく剣道を継続する子もいるでしょうが、かなり小数派だと思いま す。 そして試合もさることながら、立ち会う事の面白さは、勝敗を離れ、攻守の機微を感じ、 基本の意味を再考し、立ち返って工夫し、書物も読み返したりするのが何より面白い…
とまあ、自分の剣道を振り返ってしまいましたが、こういう面白さを書くようになると、 いわゆる「オジン」の領域に首まで浸っていることに気付くのです。
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Re: 剣道の面白さ ( No.3 ) |
- 日時: 2019/07/07 15:02:39
- 名前: 新参者
- だみ声さん、詳しくありがとうございました。
高段者になると、そこまで考えるようになるんですね。
確かに有効打突を取ったときは、嬉しいですが、それは、剣道の面白さのほんの側面でしかないと今は思っています。
できない技ができるようになり、試合でも決まるようになれば確かに嬉しいですが。
「打つまでが剣道、打った後は運動」とはよく言ったものですね。
そういう意味でも、攻めは剣道の醍醐味なのでしょうか。
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Re: 剣道の面白さ ( No.4 ) |
- 日時: 2019/07/09 21:41:31
- 名前: 気づき
- もう片方の側面。打たれた時の面白さも追求、研究(ご自身もお相手のことも)してみて下さい。
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Re: 剣道の面白さ ( No.5 ) |
- 日時: 2019/07/14 16:33:07
- 名前: だみ声<
>
- 新参者さん
>そういう意味でも、攻めは剣道の醍醐味なのでしょうか。 そうですねえ〜 醍醐味と言えばそうなのですが、攻めも剣道の楽しみ方の一部だ と思います。 相手によっては全く通じない攻めもありますし、攻め崩して「勝った」つもりで打 突したら、打たれた後(誘いこまれた)だったりもあります。
では、本当の意味での剣道の楽しみ方、面白さは何なのでしょう? それぞれ個人的な感 覚に委ねられていると思いますが、僕個人としては「剣の理法」の追求と「人間形成」の 道における共通点を見出す研究、とでもしておこうと思います。 剣道の理念に書かれているこの2点には、因果関係が薄く、片方を追及したら、もう一方 も自然に備わると言うものとは考えにくいのです。
一方には、剣道と全く異なったジャンルにおける一流の方にも、人間的魅力も備わってい ます。 つまり「人間形成」は剣道以外の道を追及しても一流になれば自然と備わってく るもので、その点は剣道でも同じはずなのに、あえてそれを掲げたのはなぜなのだろう? と言う素朴な疑問を追及したいと思っております。
気づきさん >打たれた時の面白さも追求、研究 お書きになったことも、人間形成に繋がる大切な感覚であり、剣道の奥深い所を眺 める「視点」なのだと思います。 「道」を追及するという事は、終わりのない研究の連続なのでしょうね。
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Re: 剣道の面白さ ( No.6 ) |
- 日時: 2019/07/16 20:42:09
- 名前: 新参者
- 人間形成と剣道がどのように関係するのかですか。
やっぱり高段の先生は、目指すところが違いますね。
だみ声さんは、まだまだ上の段を目指しておられるのですね。
さて、私も知りたいのですが、昇段審査で相手が掛かり稽古までとは言わなくても、それき近いような、 どんどん打ってくる相手にはどのように対処すべきとお考えでしょうか?
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Re: 剣道の面白さ ( No.7 ) |
- 日時: 2019/07/17 10:03:23
- 名前: だみ声<
>
- 新参者 さん
>どんどん打ってくる相手にはどのように対処すべきとお考えでしょうか? 試合感覚で一本を取るために頻繁に打ってくる人には、逃げではない「捌き」が必 要と思いますが、むつかしいですねえ〜。 それでもこっちからの「攻め」を表現するこ とはしておくべきでしょうね。 とにかく相手に合わせてバタバタやってしまうと不合格 の確率が高いでしょう。 もう一人の人との立ち合いで、良い所での攻防を見てもらえるといいでしょうが、まあこ ういう相手もいるという落ち着きのある立ち合いで、結果を待つしかないでしょう。
その結果たとえ不合格でも、相手の事は気にせず次に向けて表現力の工夫をするしかない と思います。 相手のことを不満に思うでしょうが、口に出してとやかく言う事もないは ずです。 とにかく審査と試合は違うものなのだ、という認識とその認識に基づいた立ち合い方を工 夫して審査に臨みましょう。 「打ち勝てば一本」は試合の要素です。 打ちに行くまで のプロセス(攻め、崩し、溜め)をしっかり実行し、「攻め勝って」から打つという事をメ リハリ付けて表現すれば評価されると思っております。 この時の打突は当たっていれば 評価が大きいでしょうが、当たり自体が多少不十分でもプロセスが良ければ評価されてい るはずです。
と、まあ自分の工夫の内容を書かせていただきました。 あくまで僕が思うものです。
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Re: 剣道の面白さ ( No.8 ) |
- 日時: 2019/07/19 15:28:11
- 名前: 新参者
- よく試合の剣道、審査の剣道と言われます。
確かに、審査と試合は違うものだと思いますが、 果たして試合用の剣道は必要なのでしょうか?
フェイント技などは審査で使うような技ではないと思いますが、 審査の稽古こそ、目指すべきところであり、 試合前にフェイント技などを稽古したりするだけで、 試合の剣道、審査の剣道とわける必要などないように思います。
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Re: 剣道の面白さ ( No.9 ) |
- 日時: 2019/07/19 17:00:48
- 名前: だみ声<
>
- 新参者 さん
>果たして試合用の剣道は必要なのでしょうか? 明治初期に段位制が制定されましたが、それ以前は各流派ごとに免許がありました が統一性はなかったです。 しかも戦って勝たねば死ぬ世界における「剣術」は試合用し かなかったのではないでしょうか? 真剣勝負で、一回負ければ、その後のない世界でし たから「勝ち残る」事は「生きる事」でした。
しからば審査用の剣道とはどう位置付ければいいのでしょう? 文字通りで、「勝利」よりも心理上、表現上の「プロセス」を優先し、その結果勝利する のがベストと言う位置づけではないでしょうか? 心理上、表現上のプロセスの表現力の 完成度が高ければ、必ずしも勝利がなくても評価する、と言うスタンスではないかと思っ ております。 そうでなければ、ハイレベルの試合(世界大会、全日本選手権)には若い八段が出場して いなければなりません。 だから試合に強い選手が、昇段審査で不合格を重ねることもあるという事だと思います。
とは言え試合の剣道と、審査の剣道には大きな重複部分があり、究極の議論としては「大 差ない」と言っていいのだと思います。 そこへ到達するまでが修行の連続、生涯剣道へ の取り組みという事ではないでしょうか?
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Re: 剣道の面白さ ( No.10 ) |
- 日時: 2019/07/23 08:14:19
- 名前: 新参者
- 剣道は、剣術を起源としています。
昔は、様々な流派があり、その大半が消滅してしまいましたが一部現存しているものもあります。
剣術は、武士の時代の生きるか死ぬかですから、剣道にとって試合は切り離せないものでしょう。
確かに、だみ声さんの言うように、全日本には、八段ばかりが出場するような大会ではないのはそういう理由なのかもしれません。
剣道は剣術ではありません。「術」から「道」に昇華し、 生死をわける「術」(すべ)から人間形成への「道」(みち)になりました。
我々剣士一人ひとりが自覚を持たなければいけませんね。
だみ声さん、勉強になりました。
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