Re: 持田先生の言葉2 ( No.1 ) |
- 日時: 2020/11/30 00:10:44
- 名前: だみ声<
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- せいちゅうせん 様
これは現代用語でいえば「平常心」のことかな?、と感じました。 改めて「平常心」 とはどのような心なのかと考察すると、 A 打たずに打たれなさい B 受けずに打たれなさい C 避けずに打たれなさい D 力を抜いて柔らかく E 相手と仲良く穏やかに F 姿勢は美しく匂うがごとき残心を のように表現できるのかなと思いました。
しかしこれだけでは勝利がなく、立ち合い方の解説としては納得がいかず、特に若い人に とっては「負け方」を説明しているのか? と言う誤解を生むかもしれません。 ところが、A〜Fの境地で対峙すると、相手はこっちの「隙」を見出すことが出来ず、心 が乱れます。 相手は恐懼疑惑に陥り、大きな「隙」を生じるので、こっちは「打つべき 時」を感じ取り、「打つべき動作」となって必然の技が出る結果、勝利するという事ではな いかと思いました。 ただし、「打つべき時」も感じ取るというより、動いたその時が打突の時と言う「必然」が 備わっているという事ではないかと思いました。 しかも勝利を感じ取るのは「打った 後」と言う時系列も存在します。(送信後「打つ前」カモ…とも感じました) 何しろ打つ動作自体が無意識の中から発生するのですから、未熟な僕には、こんな事って 正直まだ経験できてない気がします。
しかも、それが「不動智の覚醒」の結果と言うご説明の、十分な理解に至らぬ我が現状も 感じました。 剣道って、本当に奥が深く、面白いものですねえ。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.2 ) |
- 日時: 2020/11/29 13:57:58
- 名前: せいちゅうせん
- 有難うございます。
心には、少なくとも意識層と無意識層の2つがあります。(もっと多層にも思います) 無意識には「切るとのみ思う」と強く刻んで沈めておく。 意識層に持田先生の言葉を置いて、色んな雑念が浮かんできますが、それを無視する。
恐懼疑惑は攻め手が作り出すものではなく、相手があれこれ生み出してくれる。 余計なことは相手にさせて、心を広く真っ直ぐおいて、突っ張らず、少しも弛まず 揺るぎを止めない。そうやってじんわり間を詰める。何かが起こる。打ち終わる。
そういう感覚でおります。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.3 ) |
- 日時: 2020/11/30 01:19:32
- 名前: だみ声<
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- せいちゅうせん 様
>突っ張らず、少しも弛まず、揺るぎを止めない。 相手にとっては、静かに立っているだけの人が、それこそ切っ先の影に隠れて見え なくなるような感覚、こちらは「不動智の覚醒」でしょうか?
>何かが起こる。打ち終わる。 世に言う「蛇に睨まれた蛙」状態の相手は、力なく「ヨロっ」と打ちに来ますが、 まるでスローモーション。 こちらも気がついたら打ち終わっており、静かに残心 姿勢を取る。
何かカッコ良すぎて、変な気持ちですが、一度でいいからこんな打突を経験してみたいも のです。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.4 ) |
- 日時: 2020/11/30 07:03:31
- 名前: せいちゅうせん
- 突っ張らず、少しも弛まず、揺るぎを止めない。
これは、五輪書の水の巻の心持ちの事を簡略化して書きました。
いえ、ヨロっと出てくるとは限りません。むしろ、慌てて打って来ることも多いです。 おそらく、まだ大丈夫と思ってたのが急に気持ちが変わって危険だと思うからではないかと思います。 特にこちらは何も変えてないのですが、相手の心が変わる感じです。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.5 ) |
- 日時: 2020/12/03 12:06:02
- 名前: だみ声<
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- 令和2年も、はや師走3日です。 光陰矢の如し… 年を重ねるごとにその速度は加速さ
れている感じです。 更にコロナウイルスで平凡な日常も少なかったです。
>むしろ、慌てて打って来ることも多いです。 この、慌てて打ち込む側の経験はかなりやっていると思います。 確かに誘われる 如くと言うより、「こりゃイカンっ」の感じですね。
>こちらは何も変えてない ならばこっちもじっと構えておればいい…… では済まされないのです。未熟っ!!
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.6 ) |
- 日時: 2020/12/03 13:12:53
- 名前: せいちゅうせん
- >ならばこっちもじっと構えておればいい…… では済まされないのです。
そこで、意識層において、持田先生のこの言葉が重要になってくるんだと思います。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.7 ) |
- 日時: 2020/12/03 22:11:30
- 名前: せいちゅうせん
- 話は変わりますが、もはやこの掲示板のような形式への書き込みは私自身終わりにしようと思います。
最近は、質問等があれば、色んな人が開設してるブログなどがあり、この人に聞いてみたいと思うブログ等に直接質問すればいいですからね。 多種多様な議論はなくなりますが、誰かの意見が聞きたければ、色んなブログ開設者に直接聞けばいい時代です。
この掲示板で誠意をもって返答しても、トピ主が一切返答しないという、なんとも残念な気持ちしか残らないことが増えたので(剣道にならない)、私もこれで終わりにします。
いえ、実践での私自身の剣道は、ますます面白くなってきました。
ここにお邪魔して色んな気づきもありました。
皆様、どうもありがとうございました。 特に、だみ声さん、色々とディスカッション頂き本当に有難うございました。
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Re: 持田先生の言葉2 ( No.8 ) |
- 日時: 2020/12/05 02:51:25
- 名前: だみ声<
>
- せいちゅうせん 様
>意識層において、持田先生のこの言葉が重要になってくる 勝者が時々口にする「自然に体が動いた」「気が付いたら打ち(投げ)終わってた」 等でしょうか? おおいに納得いく教えだと思います。 ただし実践となるとな かなか出来ない事でもあります。 だから修業が続くのでしょうね。
ところで… >掲示板のような形式への書き込みは私自身終わりにしよう お気持ちは分かりますが、お書きになる気になった時は自然体で投稿なさっていた だきたいです。
>トピ主が一切返答しないという、なんとも残念な気持ち Wikipedia を読むと、疑問は解決しますが「知らない事を教えてくれてありがとう」 の気持ちを知らせることは出来ません。 これが高じて投稿サイトでも、答えを読 めばそれでいい。 と言う感覚が出来て来たのではないかと思います。 更に会話 が単語だけと言うお粗末な状況も生じています。 従って自分が主張したい気持ち を言葉で表現できず、反論は「誹謗」する言葉しか使えないなどもあると思います。
更に書かせていただけば、読んだ文面の奥(裏)の部分を読み取れない(気付かない)上 っ面しか感じ取れない、という国語力の低下にも原因があるのではないかと思います。 何 しろ本を読む習慣もなく、「国語」とは学校で習う教科の一つ、という捉え方です。 そこへもってきて、投稿サイトと言う文字だけの世界の特殊性も分からない若者も多いと 感じます。
更に言えば、剣道は「強ければいい」という勝利至上主義が剣道の価値観となっており、 指導する側も「勝つ事」だけで終始し過ぎていると思います。 等と書けば、また何かしらの「反論」ならいいのですが、「バッシング」が来そうです。
僕はここでの書き込みは従来通り、書きたいときに書かせていただくスタンスで行こうと 思っております。
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