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剣道指導上の葛藤
日時: 2018/02/14 23:51:58
名前: だみ声 < >

剣道を指導する中で、幾つか気になることがあり、僕の思う所を書いてみました。 一緒に考えてください。

1.勝利至上主義
   戦いなのだから、「勝ちたい」or「勝たせたい」の気持ちを持つことは良い事なのか?  弊害なのか?
   勝ちたい子が、反則一回の相手に対して、ライン際で執拗に攻め込んで、相手を場外へ出させて一本をゲット
する。
転んだ相手に、しっかり打ち込んで一本をもぎ取る。

「勝ちたい」「勝たせたい」は、指導者にも被指導者にもあると思います。 勝ってモチベーションを上げて次の上達
へと繋ぐ気持ちは必要だと思います。
でもそのために、何をすべきか?、何をすべきでないのか? と考えた時、悩ましい問題に直面します。
反則一回の相手が、試合場の隅にいます。 場外へ追い出す絶好のチャンスだと思います。 この時相手が回り込も
うとしますが、あくまで阻止して、打ち込んで、体当たりをして、耐え切れない相手がついに場外へ出ました。
一本ゲットです。 指導上これは必要な内容だと思いますが、僕が思うのは「これだけでいいのか」なのです。
勝利至上主義だけで指導していると、これでいいはずです。
転んだ相手を打ち込まないで、攻めの構えのまま間合いを切って、立ち上がったところで仕切り直しも同じ状況です。
しかぁ〜〜しっ!
回り込もうとする相手に、回り込ませて、あるいは転んだ相手を立ち上がらせて、攻防を仕切り直しする方法は、ど
のように評価されるのでしょうか?
その結果、相手に一本を取られる展開になった時、指導者は戻ってきた選手に、何と声をかけるべきなのでしょう?
勝って帰ってきた時と、負けて帰ってきた時で、声掛けの内容を変えるのでしょうか? 

2.人間形成の道
   武田信玄と上杉謙信の戦いの歴史に、有名な「敵に塩を送る」と言う逸話(美談とされている)があります。
困っている相手の弱体化に乗じて攻め込むのではなく、「対等な立場」へと仕切り直しして、再び戦うと言う事のよう
ですが、相手が「情け不要」と言う場合もあれば、「仕切り直し」に応じるかも知れないし、場合によっては相手がこ
っちの隙に乗じて「秘密兵器」を持ち出して、あえなく負ける場合もあります。
幸いにも負けても死なないご時世なので、ここから学ぶ経験は「人間形成」にとって、多くの教訓を与えます。 特
に、有利な時も、不利な時も、何をなすべきかを考察するとき、熟考して最善の道を歩む懐の深さを取得する。

3.守・破・離の教え
   守:ひたすら教えを守る。 一たび師と仰いだ人の教えは、すべて受け入れ、分からない事も、疑問に思った事も
     受け入れて、一心不乱に修行に励む事。(だと思っています)
   破:長年の修行の末、立ち合う師匠と互角の腕前になり、「免許皆伝」を授かった時、修行中に疑問に思った点
     の解説を師匠に求める。 ここで師匠の説明の一部には自分の解釈との違いがあることを知る。
   離:師匠の解説と異なる自分の解釈の「独自性」を理解し、新しい境地に達した時、師匠の下を離れて自分の
     「流派」を設立する。


時として、若い学生で血気盛んな部員には、まだまだ「勝利至上主義」だけを全てと感じ、師の言葉の奧にある教え
の深い意味を考えない(考えられない)場合があります。
ルールの範囲内ではどんなことでもやって良い、も当然であり、それも必要な感覚なのです。
でも、不思議なもので、年齢を重ねると、同じルールの中にも優劣があり、優先順位や、採用するルールの種類まで
選ぶようになるのです。
こういう事に関心を寄せるようになると、「打って反省、打たれて感謝」の意味の深さに気が付いて来るのです。

血気盛んな若者が、「WHY?」と指導者に食って掛かる事もありますし、僕も若い頃、「食って掛かった」口です。
従順に従う子より、こう言う「反抗」をする子の方が、その角が取れて来た時、人間味を感じる大人になっている場
合が多いと感じます。 問題は角の取り方を学ばず、いつまでも若さみなぎる「血気」だけで社会を突き進もうとす
ることだと思います。 と言いつつ、角も全くなくなって「球体」になってしまうと、転がり出したら止まれないと
言う弊害も出ます。
「猫の妙技」と言う話があると思いますが、そんな境地になりたいものです。 とは言え、こんな所に入り込むと若
い人は魅力を感じず、もっと目立つ技に興味が移っていきます。
英語的表現をすると「ジェネレーションギャップ」ですね。 その匙加減をどの様にやるか…

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Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.1 )
日時: 2018/02/14 02:29:25
名前: コールセンター

若い子は言うこと聞かない子が多いですからね。
ある程度は緩くやらせた方がいいと思っています。
大人になった今、先生方がいかに飽きないように工夫して練習メニューを組んでいただいていたか、いかに自分達のことを愛してくださっていたか、いかに先生方がすごかったか、私が負けたときに先生方のほうが悔しがってたのは心のそこからだったのかと実感しました。笑
負けてヘラヘラするか、審判批判して自分の否を認めない人間だったのでね笑
改善するところはたくさんあるのは気づいてたけどあえて文句いったりしてました笑

また、精神面でもあいさつ、返事、礼儀、感謝の気持ち、社会に出て本当に役に立っております。
うるさいおっさんに目をつけられて武勇伝聞かされたりもしますけど。

というわけで、大人にならないとわからないと思います。
血の気盛んで大いに結構じゃないですか!
逆に社会に出ても血の気ある子のほうが、楽しいじゃないですか。
でかい声で虚勢はって仕事して、ミスったら泣きそうな顔して謝ってきてかわいいし笑
言い訳も屁理屈も言わないし。
でも仕事覚えてくれたら率先して手伝いとか雑用もやってくれてます。

質問の意図とずれてたらごめんなさい。

まあ短くまとめると、勝利至上よし、話聞かなくてよしです。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.2 )
日時: 2018/02/14 03:00:50
名前: だみ声< >

コールセンター さん
>まあ短くまとめると、勝利至上よし、話聞かなくてよしです。

勝利至上よし
  だけではイカンと言いたいのです。 捨て去ってはいけないけれど、その他の眺め方もあって、一旦勝負の感覚
を離れて、冷静にその場を眺め、「対等」の場所から構え合うと言う高度な試合展開も選択肢にあり、普段の稽
古でそういう事も教え、例え負けて来てもその試合展開をどの様に声掛けするかが、指導者として選手の人間性
の将来につながるのだろう? と言う事なのです。

話聞かなくてよし
  違うのです。 話はしっかり聞いてなければいけません。 そういう話を聞いた後どのように受け止めて、考察
と洞察をして、話し手の真意と言葉の奧にある意味を汲み取る訓練をするのだぞっ! と言う事なのです。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.3 )
日時: 2018/02/14 07:31:38
名前: コールセンター

だから、若い子はどうせ聞かないから自分できづかせるしかないという意味で書きました。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.4 )
日時: 2018/02/14 17:40:25
名前: せいちゅうせん


>反則一回の相手が、試合場の隅にいます。 場外へ追い出す絶好のチャンスだと思います。 

審判に反則に見えないように注意して押し出せってことでしょうか。
それは、上手に反則をすることを促す指導ですから最低な指導ですね。

しかしこの状況を作れたのなら、心理的にも有利な立場で、しかも位置取りも有利に試合を運べたわけですよね。

たとえば、返し技や出小手などが得意な子なら「相手は絶対後ろには下がれない状況だから、相手に面を見せて打たせて、それを刈り取れるようになれ」。飛び込み面が得意なら、「相手が左右に逃げようとした瞬間にぶつかる覚悟で面に行け。一本になる面で勝負しろ」などでいいのではないでしょうか。この面は教え子も場外に出てしまう危険もありながらも勝負してますから良いと思います。

相手が不利なる隅に追いやって技を仕掛けるなんてすばらしいと思いますよ。

しかし、全日本選手権でさえ明らかに押し出すためだけの押し出しを見ますので、情けない時代です。

>転んだ相手を打ち込まないで、攻めの構えのまま間合いを切って、立ち上がったところで仕切り直しも同じ状況です。

う〜ん、相手の足がもつれるくらい攻め立てて、相手が墓穴を掘った瞬間に、打ち込む。
いいじゃないですか。攻めが効いてる、心理的に勝っているから相手の足がもつれるわけです。

>回り込もうとする相手に、回り込ませて、あるいは転んだ相手を立ち上がらせて、攻防を仕切り直しする方法は、どのように評価されるのでしょうか?

 自分で作り出した一本を取る機会をわざわざ捨てなさいという指導が果たしていいのでしょうか。
 相手を痛めつける意図をもっての汚い方法はいけませんが、必死になって正しい一本をがむしゃらに取りに行くっていうのは少年期には必要だと思いますよ。

だみ声さんのおっしゃりたいことも分かりますが、学生がやるといささか二枚目を気取った嫌な奴に感じます(笑)。




>「敵に塩を送る」

たとえば、個人戦準決勝で教え子は勝って決勝進出を決めている。
もう一つの準決勝は、延長戦になり熱戦が続いている。
その勝敗が決まればすぐ決勝戦が控えている。

教え子に面を取らせて待たせる。
決勝に上がってくる子が決まったときに、相手に面を取って休ませる時間をゆっくり取らせてやる。

まあ、常識的な審判なら両者にそうさせるでしょうが、監督がコート主任に声かけて教え子にそうやって待たせる方が粋だと思います。


感情的な言葉や指導は伝わりませんが、指導者が目指す剣の理想像を描けるようにしてやることが最も大事なんではないでしょうか。日々の稽古で根気よく伝えないと出来ないことです。

追伸:私は個人的には現代の子供たちの試合は多すぎて「やめちまえ」と思うぐらいうんざりしていますが、試合を利用して指導するなら上記のようにならざるを得ないと思います。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.5 )
日時: 2018/02/14 18:39:14
名前: 理念

ジェネレーションギャップではないと思います。周りの指導者、剣道界が勝利至上主義に育てるから、剣道の本来あるべき姿が見えないのだと思います。剣道の理念は間違っていません。人間形成の道です。修行の道です。なんで優勝カップが必要なんですか?
なんて言っても仕方がないですが、指導者は本来のあるべき姿を追求して、子供を導かなければなりません。試合をさせてもそこがブレなければいくらでも指導はできると思います。
昭和初期の天覧試合で勝敗をとる。となった時、内藤高治という先生は猛反対しましたが、勅命でありますぞ。と言われて受け入れました。その時にこれで日本剣道は滅びた。と言ったそうです。ここが考えどころです。なぜなら今だに滅びっぱなしだからです。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.6 )
日時: 2018/02/15 01:33:35
名前: とらのすけ

こんばんは。だみ声さん、とらのすけです。ご無沙汰をしております。

久しぶりにお返事させて頂きます。


私が子供達へ指導する際に伝えているのは『 勝負で負けるより勝ちなさい。とは言え、勝ちにこだわり過ぎて【 セコい勝ち方 】になってはいけない。もし相手が強くても汚い勝ち方を考えるのではなくて、勇気のあるドーンと打てる剣道をしなさい。』です。そして上級生に対して『 君が下級生と勝負して【 当てる 】だけの打ちで勝つ事は簡単だろう。でも相手より基本を意識し、相手より基本を大切にしながら勝負し稽古しなさい。』です。

今回の状況を考えると、もう少しで相手を場外へと出せるかもしれないが、その方法はどうするのか?であり、私は【 力任せ 】なのか?【 技術 】なのか?という見方をすると思います。体当たりであっても、鍔迫り合いであっても【 かけ引き 】は存在し【 勉強の場 】であると思います。もし勝ちにこだわり過ぎて【 力任せ 】になるのであれば【 技術不足 】であると指導しています。

私自身、大会へ参加した時に【 一本負け 】に終わった時がありました。
しかし相手の先生から『 試合では勝っても、剣道で負けました。』と仰って下さいました。それは相手の先生に【 場外反則 】を一回与えたからでした。ライン際で相手の先生が下がってしまったのでした。

同じ場面で子供達が勝てたとしても【 力任せ 】であるなら注意しますし、【 技術 】であるなら一緒に喜びます。もし負けたとしても【 勉強であり稽古だよ。】と伝えます。

試合であっても【 試合稽古 】ですよね。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.7 )
日時: 2018/02/15 02:58:31
名前: だみ声< >

コ−ルセンター さん
>自分で気づかせるしかない
   気付きを待つのではなく、ヒントや、考え方や、バリエーション毎の対応など、多岐にわたる説明をしておく
のです。 彼等が気付くのは、何年もあと、自らの修行の中から理解して行けばいいと思います。

せいちゅうせん さん
>場外へ追い出す絶好のチャンス
   この表現が、まずかったと反省します。 一本を取りやすい絶好のチャンス、の事です。 得てして選手は追
い出しにかかるのですが、それを良しとするなと言いたかったのです。

>相手が不利になる隅に追いやって…
   こう言う攻めが出来ているなら、一本を決めてくれるでしょうが、偶然巡ってきたチャンスなのかも分からな
い選手が、「しめたっ」とばかりに押し出す事が僕は最も嫌いなのです。

>自分で作り出した一本を取る機会をわざわざ捨てなさいという指導が果たしていいのでしょうか。
   一本を取るなら申し分ないですが、押し出すのはナンセンスだと言う事を言いたかったのです。 特に先に反
則が1回ある相手の場合です。

隅の片方を開けて、あえて互角の場へ出させるのも、転んだ相手が起き上がるまで、しっかり構えて互角の場を作る
のも、「二枚目を気取る」と映るのか「粋な計らい」と映るのかは賛否両論あると思いますし、試合の流れの中でも見
え方も、異なってきます。 特に選手の技術レベルの話題などもあれば、いろいろ語られると思います。
僕個人の指導の中には、「カッコ良く」戦う中にはこういうのも「有り」だとしております。 ただしこの後負けて来
るのは「カッコ悪いよなぁ〜」と付け足しております。

理念 さん
>剣道界が勝利至上主義に育てるから
   あらゆるスポーツは勝利至上主義で成立しています。 剣道を例外にすることには無理があります。 しかし
     剣道を単なるスポーツとする事にも無理があります。 残るのは「曖昧さ」です。

以下の説明も多少無理があると感じているのですが…
一般の人は勝者しか見ない、見えない浅はかさがあります。でも仕方ない事でもあります。 だからあらゆる競技選
手は2位に甘んじることなく、次回の優勝を目指して再び稽古に没頭します。 この点は剣道も例外ではないと思い
ますが、これは勝利至上主義につながってもいます。

最終的に剣道は、生涯を通じて継続して「ナンボ」であり、「ナンボ」の所は、本人の「気」あるいは「心」の中で処
理され、周囲の評価とは「別物」ではないのでしょうか?
打突の優劣など二の次であり、本人にとっては「自己の修行」の成果が重要なのではないかと思います。 その成果
すら、採点するのは自分(辛くも、甘くも有り)と言う曖昧なもの、と言わざるを得ないのではないでしょうか?

内藤 高治 先生の「日本剣道は滅びた」も有名な話ですが、「勅命」には逆らえない当時の社会を映し出していると思
います。 この頃剣道は純粋に「武道」として語られていたと思います。(スポーツとは一線を画していた)

やはり剣道に「勝負」の概念が強く反映したのは、戦後(昭和28年?)GHQから剣道再開の許可を取るための、
「スポーツだから許可してください」の意味を含む申請文書からではないでしょうか?
でもこの作業がなかったら、剣道はこの世から消滅していたかもしれないのですから、皮肉なものですね。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.8 )
日時: 2018/02/15 03:29:44
名前: だみ声< >

とらのすけ さん
こんばんは、お久しぶりです。 だみ声オヤジ、古希を過ぎて3年目になりますが、まだ生きています(笑)。
剣道もやれています。 25日には東京練馬区で開催の「第18回電脳剣士稽古会in東京」に参加します。

>もし相手が強くても汚い勝ち方を考えるのではなくて、勇気のあるドーンと打てる剣道をしなさい。
>【 技術 】であるなら一緒に喜びます。 もし負けたとしても【 勉強であり稽古だよ。】と伝えます。
   「捨て身」の一本を果敢に打てる選手に育ってほしいですね。 それで負けて来ても、決して責めるものでは
ありません

>『 試合では勝っても、剣道で負けました。』
   試合後のこういう会話ができる相手と戦った時って、「武道」を感じますね。 剣道やっててよかったっ!

もう一歩踏み込んで考えれば… 
  相手の方にとっては、試合場内におけるご自分の位置を見失っていた点を「不覚っ」と言う感覚だったのでしょ
うね? 本来なら場外は「崖下」、転落して「負け」と言う気持ちをお持ちだったのでしょう。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.9 )
日時: 2018/02/15 12:03:08
名前: せいちゅうせん

だみ声さん

私の書き込みも誤解を与えるかもしれません。

私の書き込みの「一本」は有効打突のことで、反則2回を狙っての一本ではありません。

たまたま、相手を隅に追いやったとしても、立ち位置有利なのですから有効打突を取りにいくべしという意味で、その機会をわざわざ捨てる必要はないということです。
ただただ相手に集中してれば、少ない機会を絶対に逃さないということになります。
じたばたしても、みっともなくても、一生懸命に有効打突を奪いに行くという姿勢は大事だと思います。
ただ、「汚い、卑怯な手を使っても一本を取る」「団体戦の星勘定で、引き分け狙い」ではダメだと強く思います。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.10 )
日時: 2018/02/15 17:02:48
名前: 理念

曖昧さは我々の認識です。剣道を例外にすることになんの無理もないと思いますが。
ご存知の通り、剣道を競技化、スポーツとして復活させたのは方便ではなかったのですか?
現在は、競技化してしまっていますので、仕方ありません。いくら私なんかが武道だって叫んでも致し方ないです。しかし、指導者は武道としての剣道を指導しなくてはいけないと思うのです。武道として見れば勝敗、反則、誤審なんていうものはどーでもいいことだと思います。本人が勝ちや負けにこだわらず、出来るか出来ないかです。真剣勝負だったら死ぬか生きるかですね。これがいわゆる捨て身ということだと思います。
剣道の試合は、もちろん勝たなくてはいけませんよ。しかし勝てばいいというものではないというのは皆さんのいう通りです。勝って反省ですからね。勝って反省なんて言っておきながら、勝てば優勝カップ。おかしなことです。
私の場合は、試合後は勝ったからとか負けたからで指導はしません。試合中うまく出来ていたところは褒めて、いいところはもっと伸ばせと言いますし、ダメだったところはもっと稽古しなさいと言います。勝っても負けても一緒です。
Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.11 )
日時: 2018/03/05 22:44:22
名前: 剣之介

だみ声さん
お久しぶりです。

勝利至上主義とはどんなものでしょう?
指導されるものより、指導する側に問題があると感じます。
良く、勝ちにこだわるなと言われますが勝たないと見えない世界があります。
冬季オリンピックが終わって、勝つためにどれだけ努力や稽古をした人がメダルをもらったり、悔し涙をながしたことでしょう。

剣道も対戦相手がいて、勝負を競う競技です。武士道とかスポーツとかいううのではなく、規則があり審判がいて勝敗を決します。

まず、相手が反則を1回しており、場外反則で1本となる場合でも、そのスチュエーションに関係なく、競技者として、また指導者としてライン際に相手を追い込んだ場合は、必ず、打ち込んで体当たりするようにするように、させるように指導しています。
 また、逆の立場になった場合は、必ず、体を入れ替える、ライン際で打ち込まれた場合に場外に出ない、逆に体を入れ替えて一度は押す、相手の場外反則を促すように指導しています。
 執拗に押し出す指導はしていません。が、子供によっては稽古不足の子が勝てないので反則勝ち狙いの子がいますが、そんな子は上位に勝ち残れません。
また、その子に押し出される子も上位には上がれません。
 指導者として、ライン際の攻防も稽古に取り入れて、稽古させています。

 審判の時は、押出しで勝とうとする子には、副審の場合は押した方に反則の旗を出します。
 主審の場合は、ラインから出される前に止めをかけ、押す方の子に注意を与え、やめない場合は反則を取ります。

 相手が転倒した場合は必ず、危険でなければ打ち込むように指導しています。また、自分が転倒した場合は、打突されないように打突部位を庇う様に指導しています。
 竹刀落としにおいても同様に指導しています。

 私が主審をしている場合は、選手が転倒した場合、危険でなければ相手の打ち込みの意思を確認して(一呼吸おいて)止めをかけるようにしています。
 勝負の世界の厳しさを知っていただくためです。

 武士道など言われますが、剣術が江戸の時代の泰平の世に行われたもので本来は殺し合いです。新選組の戦い方にあるように切らないと死んでしまいます。

 現代は、規則やルールがあって競技として相手がいて勝敗があり、心と身体を鍛え、技を磨いて敗者に敬意を払える競技者が増えるように剣道を正しく伝えたいですね。

 皆さん、よろしくお願いします。

Re: 剣道指導上の葛藤 ( No.12 )
日時: 2018/03/06 05:12:58
名前: 理念

勝つとは何に勝つ事ですか?何に勝つために努力するのですか?剣道が他のものと違うのはここなんです。オリンピック競技にならないのも、剣道連盟の偉いさんは、その一線を超えてはならないとの認識と思います。まあ時間の問題のような気がしますけどね。剣道は殺し合いの術の剣術を更に昇華させたものです。なんのために昇華させたのでしょうね。根本は殺し合いです。相手を斬ったら終わりです。やり直し、取り返しはつきません。4年後金メダル目指します。とはいきませんね。こう言った心で稽古するのが剣道です。

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